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「一緒にいる」ことこそが、最強の希望。総合プロデューサー山泊りょうさんが挑む「アンセム」で起こす熱狂(THA BLOCK実行委員会)

「なぜ、人は生きるのか」。幼い頃、その問いに「虚しさ」しか持てなかった少年がいました。アルコール依存症の父と新興宗教にすがる母の間で、孤独に震えていた山泊りょうさん。
ノンフィクション作家として3000人の人生を紡いできた彼が今、物語の舞台を紙の上から日本武道館へと広げる。主役は有名歌手ではなく、日々を懸命に生きる名もなき会社員たちです。
孤独の闇から「一緒にいよう」と叫ぶ魂の物語。それは、分断された世界を温もりで繋ぎ直す、壮大な挑戦の記録です。

THA BLOCK実行委員会 代表、ノンフィクション作家:山泊 りょうさん

1. 「何のために生きるのか」──孤独の中で見つけた、たった一つの魔法

―― 山泊さんは現在、「働く人が主役のイベント:THA BLOCK」を主催し、武道館を目指すという壮大なプロジェクトを進めていらっしゃいます。その情熱の源泉はどこにあるのでしょうか。まずは、幼少期のお話から聞かせていただけますか。

山泊 りょうさん(以下、山泊さん:僕の子供時代を一言で表現するなら、「虚しさ」と一緒にいた、ということになります。1978年、大阪で生まれました。父は貧しい家に生まれ、母親に捨てられた経験を持つ人でした。人の痛みには敏感で、情に厚いけれど、どこか寂しさを抱えている。そんな父の心の隙間を埋めたのがお酒でした。アルコール依存症で、家ではいつも荒れていました。

一方の母は、正義感が強くて社会を良くしたいという思いを持っていましたが、学歴がない自分に劣等感を抱いていました。そんな母が救いを求めたのが新興宗教でした。毎日深夜まで、泣きながら仏壇に向かってお題目を唱えているんです。

―― 家庭の中に、安心できる場所がなかったのですね。

山泊さん:ええ。父は酒に溺れ、母は宗教に没頭する。二人の間にはいつも喧嘩が絶えず、家の中はちぐはぐで、居心地の悪さが充満していました。大好きなお母さんは家にいないし、お父さんは酔っ払って暴れる。そんな家庭環境でしたから、僕は次第に自分の部屋に閉じこもり、一人で過ごすことが多くなっていきました。

保育園に行けばいじめられるし、先生からも冷たく扱われ、「なんで自分は生きていなきゃいけないんだろう」と、そんなことが頭から離れませんでした。

一番辛かったのは、大人たちに「将来何になりたいの?」と聞かれることでした。僕は心の中でこう叫んでいました。「何になりたいかなんて分からない。それよりも、何のために生きているのかを教えてくれ」と。いつか死ぬのに、なんでみんな平気な顔をして生きているんだろう。そんな孤独感ばかりが募っていく毎日でした。

―― 「何のために生きるのか」という問いを、幼い頃から抱えていたのですね。お父様との関係はどうでしたか?

山泊さん:父のことは、正直大嫌いでした。酒を飲んで暴れる父のせいで、家族はめちゃくちゃだと思っていましたから。でも、忘れられない出来事があります。僕が14歳の冬のことです。

その日も父は飲んで帰ってきて、風呂場から「バターン!」という大きな音がしました。何事かと見に行くと、父が血を吐いて倒れていたんです。そのまま救急車で運ばれ、病院のベッドで管だらけになった父を見て、僕は足がすくみました。

意識が朦朧とする中で、父は僕と妹に向かって、弱々しい声で言ったんです。「お前らは、もうええから帰れ」って。

―― 憎んでいたはずのお父様が、死の淵に立たされた時……。

山泊さん:その時、僕は言葉が出なかった。「お父さん、心配や。一緒にいたい」って、言えなかったんです。素直になれなかった。でも、父が亡くなってから思い出すのは、暴れていた姿ではありませんでした。僕たちがまだ小さかった頃、僕と妹を両脇に抱えて、「お前らは、お父さんの宝もんや」と言ってくれた、あの温かい笑顔ばかりが蘇ってくるんです。

母も言っていました。「私、お父さんのこと好きやったわ」って。僕らは忘れていたんです。本当はお父さんのことが大好きだったということを。大切な人が一緒にいるうちに、思いは伝えなきゃいけない。失ってからでは遅いんだと、痛切に感じました。

―― その後悔と愛情の記憶が、山泊さんの原点になっているのですね。いじめられていたという保育園時代にも、何かきっかけとなる出来事はありましたか?

山泊さん:あります。あれは僕が初めて「物語の力」に触れた瞬間でした。保育園での鬼ごっこ、僕はいつも「鬼」ばかりやらされていたんです。みんながやりたがらない、損な役回りです。「またお前が鬼な」と言われて、走り回って友達を追いかける。惨めで、つまらなくて、寂しかった。

でも、ある時ふと、追いかけながら口から勝手に言葉が出たんです。「俺は、追いかけマンだぞ!」って。

―― 追いかけマン、ですか?

山泊さん:そうです(笑)。ただの思いつきでした。でも、その瞬間、逃げ回っていた友達の反応が劇的に変わったんです。みんなが目を輝かせて、「うわー!追いかけマンだ!」「俺も追いかけマンやりたい!」って集まってきたんです。

ただの「鬼」という嫌われ役が、「追いかけマン」というヒーローに変わった瞬間でした。ルールは何も変わっていない。ただ、そこに「物語」と「名前」を与えただけです。それだけで、みんなが仲間に入りたがった。その時、僕は知りました。「物語を作れば、人は一人ぼっちじゃなくなるんだ。みんなと一緒にいられるんだ」と。

これが、僕が後に作家となり、そして今の活動に至るまでの、最初の魔法体験だったんです。

2. 成功と挫折の果てに──「名前」が命を吹き込むことに気づくまで

―― 「追いかけマン」の体験は、まさに今の山泊さんの活動に通じるものがありますね。その後、すぐに作家の道を選ばれたのですか?

山泊さん:いえいえ、そこからは迷走の連続でした(笑)。大人になって、「何者かにならなきゃいけない」という焦りから、リクルートという会社に入りました。そこでは、がむしゃらに働いて、入社から2年連続で営業日本一を獲ったこともあります。

―― すごい実績ですね! それでも満たされなかったのですか?

山泊さん:全く満たされませんでした。表彰台に立って、みんなから拍手喝采を浴びても、心の中は砂漠のように乾いていました。「こんなもんかよ」って。褒められれば褒められるほど、虚しさが大きくなっていく。結局、3年を待たずに辞めてしまいました。

そこからはもう、自分探しの旅です。俳優を目指して映画に出てみたり、新潟市長に直々に頼まれて、無農薬の米作りを5年間やってみたり。精神病院で働いて障害者の就労支援をしながら便利屋を立ち上げたり、建設現場の職人をやったり……。本当にいろいろやりました。

―― まさに波乱万丈ですね。交通事故にも遭われたとか。

山泊さん:はい。交通事故で頭蓋骨を骨折し、脳挫傷で「余命3日」と宣告されたこともあります。集中治療室で生死の境をさまよいました。でも、死ななかった。これだけあがいても、死ぬことすらできなかった。

生き残ってしまった以上、問いからは逃げられない。「自分は、何者として生きるのか」という問いから。そして、いろいろ試した末に、はっきりしてきたことがありました。

 僕は、誰かに名前をつけられる側ではなく、自分で“名付ける側”でいたいのだ、と。作家として、人の話を聞き、その人の人生に言葉を与える。それは、子どもの頃の「追いかけマン」とどこか重なっていました。

―― 作家としての活動の中で、どんな気づきがあったのでしょうか。

山泊さん:ある時、どん底まで落ち込んで、「自分なんて生きてる価値がない」と塞ぎ込んでいた時期がありました。そんな時、ふと手元のスマホを見たんです。そして、着ている服、座っている椅子、部屋にあるものすべてを見渡しました。

その時、雷に打たれたような衝撃が走りました。「これ、全部誰かが作ってくれたものやんか」って。

僕らは一人ではネジ一本すら作れない。でも、こうしてたくさんのモノに囲まれて、便利に暮らしている。それはつまり、僕らはすでに「誰かの仕事」に守られ、誰かの愛を受け取って生きているということなんです。僕らは一人ぼっちなんかじゃなかった。すでに世界中の誰かと「一緒にいる」んだと、心の底から理解しました。

―― その気づきが、現在の「アンセム」というミュージックビデオに繋がっていくのですね。

山泊さん:そうです。日常は、誰かの作品でできている。だったら、その日常を作っている働く人たちの横顔は、最高のアートになるはずです。アーティストがライブで輝いているのは、真剣にそれをやっているからです。だとしたら、真剣にネジを作り、真剣に電話を取り、真剣に掃除をしている人たちも、同じように輝くアーティストなんです。

そう確信して始めたのが、企業の社歌やミュージックビデオ(MV)を作る「アンセム(応援歌)」というプロジェクトでした。

3. 「どんな魔法を使ったんだ」──冷めた現場が、涙と誇りのステージに変わる時

―― 企業で働く方々をアーティストとして描く。素晴らしいコンセプトですが、実際の現場ではどのような反応なのでしょうか。最初は戸惑われる方も多いのでは?

山泊さん:戸惑うどころか、最初はひどいもんですよ(笑)。ある製造業の会社に伺った時のことです。僕が熱く「あなたたちの仕事は素晴らしいアートなんです!」と語っても、社員のみんなは下を向いている。爪を見たり、スマホをいじったりして、誰もこっちを見ようともしない。

「なんでこの会社に入ったんですか?」と聞いても、「家から近いから」「なんとなく」「生きていくために仕方なく」なんて答えしか返ってこない。「志」なんて言葉を出そうものなら、鼻で笑われるような空気でした。

―― それは心が折れそうになりますね……。そこからどうやって彼らの心を開いていくのですか?

山泊さん:僕もかつてはそうでしたから、彼らの気持ちは痛いほど分かるんです。「仕事なんてこんなもんだ」「自分なんて大したことない」って諦めている。だから僕は、志なんて高尚なことは聞きません。その代わり、一人ひとりにこう聞くんです。

「本当は何が好きなの?」「何をしてる時が楽しいの?」って。

最初はボソボソとしか話してくれませんが、根気強く聞いていくと、少しずつ心の蓋が開いてくるんです。「実は子供の頃から機械いじりが好きだった」「家族を守りたかった」「本当はもっといいモノを作りたかった」……。そんな熱い想いが、マグマのように溢れ出してくる。

その想いを僕が歌詞にして、「下手くそでいいから、カメラの前でその想いをぶつけてくれ! 自分を出してくれ!」ってお願いするんです。

―― そして、撮影が始まるわけですね。

山泊さん:はい。ある会社では、会長さんが猛反対していました。「うちはそんなチャラチャラしたことする会社じゃない。」って。でも、社員たちが自分たちで振り付けを考えて、汗だくになって歌って踊る姿を、会長は影からじっと見ていたんです。

撮影が進むにつれ、社員たちの顔つきが変わっていきました。やらされている顔じゃない。自分たちの仕事を誇る、プロフェッショナルの顔になっていく。

そして最後にはなんと、あんなに反対していた会長自身も「わしも出る」と言って、出演してくださったんです。

―― 会長さんの心も動かしたんですね! 出来上がったビデオを見て、皆さんの反応はどうでしたか?

山泊さん:撮影が終わった後、会長が僕のところに来て、真剣な顔でこう言いました。「山泊さん、あんた一体どんな魔法を使ったんですか? 彼らは、あんなことをやるような連中じゃなかったんです。あんなに生き生きとした顔、見たことがない」と。

僕は答えました。「魔法なんか使ってないです。みんなが自分の本当の気持ちに気づいただけです。自分たちの仕事はかっこいいんだ、自分たちには仲間がいるんだって、思い出しただけなんですよ」と。

―― その後、会社には変化がありましたか?

山泊さん:劇的な変化が起きました。それまで新卒採用がゼロだったのが、そのMVを見た学生たちが「こんな熱い会社で働きたい」と集まってきて、毎年コンスタントに採用できるようになったんです。

それだけではありません。社員たちの士気が上がったことで業績も伸び、M&Aで子会社を作り、さらには世界最小のコイルを開発してギネス記録まで出してしまった。

社員たちが「自分たちの仕事はアートだ」「自分たちは世界を変えているんだ」と誇りを持ったことで、会社という組織が、熱を帯びた「一つの生き物」に進化したんです。人は、誇りを持つとここまで変われるんだと、僕自身が教えられました。

4. 2026年、日本武道館へ──1万人の仲間と「一緒にいる」世界を創る

―― 働く人たちが誇りを取り戻すエネルギーは凄まじいですね。そして今、その熱をさらに広げようと、2026年の武道館を目指されているわけですね。

山泊さん:はい。僕は、日常という「作品」を作っているすべての働く人を、晴れの舞台に立たせたいんです。それが、2026年9月18日の開催を目指している、日本武道館でのイベント「THA BLOCK」です。

武道館といえば、アーティストにとって成功の象徴ですよね。でも、僕らが生きるこの世界を作っているのは、テレビに出ている有名人ではなく、名もなき普通の人たちです。朝早く起きて電車に乗り、誰かのために汗を流している、あなたたちです。

だからこそ、普通の人が主役として武道館に立ち、お互いの仕事を称え合う。そんな場所を作りたいんです。観客も出演者も、全員が「働くアーティスト」です。

―― 武道館で、普通の会社員が主役になる。想像するだけで鳥肌が立ちます。どのようなイベントになるのでしょうか。

山泊さん:ただの音楽フェスではありません。「一緒にいる」ことを確認する祝祭です。
今、この世界には多くの問題があります。戦争、差別、貧困……。でも、根っこはすべて同じだと思っています。「自分とあなたは違う」という分断から始まっている。寂しいから、分かってもらえないから、争いが起きる。

もちろん、違いを尊重する「多様性」はとても大切です。でも、その前提として必要なのは、「一様性」だと僕は思っています。僕らはこんなに違うけれど、どこが同じなのかを自覚すること。
 「同じなんだ」という前提で違いを見るからこそ、本当の意味で尊重できるんじゃないでしょうか。

戦争も、政治や宗教、経済の都合で起きているように思います。でも、もっと遡れば、誰かが「信じられない」「分かってもらえない」という淋しい思いをしたことが発端になっているはずなんです。淋しさが積み重なり、やがて憎しみになる。だから僕は、「誰も淋しくならない世界」を思い描いています。

僕らはすでに、仕事を通じて繋がっています。あなたの作ったものが僕を助け、僕の言葉が誰かを支えている。技術的にも物質的にも、僕らはいま既に「一緒にいる」。あとは、心がそれに気づくだけです。

武道館という空間で、1万人が集まり、お互いの存在を祝福する。「あなたがいてくれてよかった」「僕らは一人じゃない」と肌で感じる。もしそれを本気で感じられたら、戦争をする必要なんてなくなると僕は思っています。

みんなが「一緒にいる」と分かった瞬間、人は争う理由を失う。 僕はそれを「全生命の和楽(わらく)」と呼んでいます。すべての命が、調和し、楽しみ合っている状態です。

―― その実現に向けて、今はどのような状況なのですか?

山泊さん:正直、無謀な挑戦かもしれません(笑)。今、この開催に向けて、1億円の資金と、MVに出演してくれる企業、そして1万人の来場者を募集しています。僕の会社はたった2人の小さな組織です。でも、一人じゃできないことも、みんなとならできる。

すでに「手伝いたい」と言ってくれる仲間が集まり始めています。彼らは言います。「みんなの役に立ちたい」「誰かと一緒にいたい」と。これは人間の本能なんです。自分を自分のためだけに使うのは虚しい。誰かのために使いたいという欲求が、僕たちには備わっているんです。

―― 最後に、この記事を読んでいる方へメッセージをお願いします。

山泊さん:あなたが必要です。ネジ一本を作る人、電話を取る人、掃除をする人、すべての仕事が世界を作っています。あなたがそこにいるだけで、誰かの役に立っている。そのことを、武道館という最高の舞台で一緒に証明しませんか。

僕たちは、一緒にいる。その喜びを、ぜひ一緒に味わいましょう。僕らはもう、仲間ですから。

取材後記

「魔法なんか使ってない。みんなが本当の気持ちに気づいただけ」。山泊さんの言葉に、かつて孤独な「鬼」を「追いかけマン」に変えた少年の姿が重なりました。

孤独という深い影があったからこそ見出せた、「一緒にいる」という光。自分の欠落を埋めるためではなく、他者を照らすために生きる時、人は孤独を超えていける。山泊さんの生き様は、まさにその真実を体現するIKIGAI人生そのものだと確信しました。


【企業データ】
会社名:THA BLOCK制作実行委員会
事業内容:働く人を主役にする音楽フェス「THA BLOCK」の企画・運営、企業向けMV制作「アンセム」

監修者画像

【監修者】熊倉 利和

一般社団法人日本IKIGAIデザイン協会 代表理事/IKIGAI WORKS株式会社 代表取締役/IKGAI広場 編集長

新卒であさひ銀行(現りそな銀行)に入行後、慶應義塾大学大学院(MBA)を経て、セルメスタに転職、2011年に代表取締役に就任。2021年、IKIGAI WORKS株式会社を設立。
健康経営伝道師として350社と750万人にデータヘルス計画や健康経営のコンサルティングを実施。生きがい・働きがいを持って経営を推進するトップランナーらとのインタビューや講演、イベント開催など健康経営や働きがいの普及啓発に取り組む。今では健康経営、ウェルビーイング、人的資本経営を包含し、「IKIGAI経営」の普及啓発へ公私ともに邁進。IKIGAIオタクとしてすべての社会に「生きがい」を広めることを生業とする。

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