アートで人と人、地域と地域をつなぐー見えない世界を見える形にする平和への祈り(一般社団法人アートピースジャパン)
幼少期、ベッドの横で小さな手を合わせて祈る時間と、無心で絵を描くひとときだけが、少女にとって見えない世界とつながれる大切な時間でした。
しかし大人たちの無理解や現実社会の荒波の中で、彼女はその直観と「画家になりたい」という夢を一度封印してしまいます。
他者の評価を求め、もがき苦しんだ長いトンネルを抜け、再びキャンバスに向かった時、彼女の人生は大きく動き始めました。アートを通して人と人をつなぎ、地域に平和の文化を広げていく一人の女性の人生の軌跡です。

矢崎 千惠さん(画家・千空 / 一般社団法人 アートピースジャパン 代表理事)
矢崎 弘直さん(公認会計士 / 一般社団法人 アートピースジャパン 理事)※矢崎千惠さんの夫
1. 祈りと絵 ―― 見えない世界とつながっていた少女時代
——現在は画家として、そしてアートを通して平和をつなぐ文化活動を行う千惠さんですが、その原点には偉大な曾祖父の存在があったと伺いました。
矢崎 千惠さん(以下、千惠さん):はい。私の曾祖父は「白洋舎」の創業者、五十嵐 健治です。彼は日本で初めてドライクリーニングを広めた人で、「人の垢を洗う」という仕事を、人々の生活を清潔にし、心を豊かにする尊い使命へと高めた人です。私はひいおじいちゃんが大好きで、亡くなった後も、曾祖父の作った技術や精神が世の中をきれいにし続け、「死してなお、人を幸せにする生き方」に、幼い頃から強い憧れを抱いていました。
——素晴らしいルーツですね。一方で、ご自身の幼少期は葛藤の多いものだったとか。
千惠さん:はい。憧れとは裏腹に、子どもの頃の私は自分に自信が持てず、どこか生きづらさを感じながら過ごしていました。10歳の頃には転校先での人間関係に悩むこともあり、家庭でも厳格な環境の中で育ちました。五十嵐の一族としての期待を受けながら、家族のさまざまな出来事の中で育ち、子どもながらに多くのことを感じ、考えていたように思います。
うちはクリスチャンの家庭で、食事の前など、日常的に祈る習慣がありました。教会の中だけでなく、自発的にベッドの横で手を合わせて祈っていた子どもでした。その時、天と繋がっているような温かい一体感を感じていました。それは神様にお願い事をするというよりも、ただそこに繋がっているという圧倒的な安心感でした。
——その安心感が、千惠さんの心の支えだったのですね。
千惠さん:ええ。でも教会での奉仕活動を始めると、大人たちの間には宗派の違いによる争いがあることも知りました。そして、家族、親族の中でも大人たちの間には見えないやりとりや関係性があり、子どもながらにその空気を感じ取っていました。そんな中で、私にとって心が自由になれる時間が、絵を描く時間でした。紙に向かって夢中で絵を描いていると、現実から離れて、ただその世界に溶け込んでいくような感覚があったんです。それは祈りの時間とどこか通じる、私にとって大切な感覚でした。

2. 直観を封印し、現実の世界へ
——その特別なつながる感覚や、絵を描く喜びは、成長とともにどうなっていったのでしょうか。
千惠さん:成長するにつれて、その感覚を少しずつ封印していきました。私が天とつながるような感覚の話をしても、家族にはなかなか理解してもらえなかったんです。周囲に話せば、変わった子だと思われてしまう。「あ、この感覚は口に出してはいけないんだ」と、だんだん閉ざすようになりました。10代の頃、画家になりたいと打ち明けた時も「それでは食べていけない」と反対され、次第に絵からも遠ざかっていきました。そして20歳の頃には、その特別な感覚を自分の中から完全に切り離してしまったんです。
——本来の自分を抑え込み、現実社会に適応しようとされたのですね。
千惠さん:はい。その後は、自分の価値を証明したい一心で、世の中の評価という外側の物差しを求めるようになりました。子育てにも仕事にも全力で打ち込み、営業の仕事では大きな成果も上げました。お金も稼げるようになり、欲しかったものも手に入れました。嬉しさや達成感はあったのですが、心のどこかで「これが本当に望んでいたものなのだろうか」という感覚がずっと残っていたんです。
——社会的な成功や物質的な豊かさを手にしても、心は満たされなかったのでしょうか。
千惠さん:はい。外からどれだけ称賛されても心の内側には小さな穴がぽっかりあいている感覚でした。私はずっと、誰かに認められるために頑張っていただけで、本当の意味で自分の人生を生きていなかったんです。当時は、夫のことさえどこか競争相手のように感じていました。彼は公認会計士として忙しく働いていたのですが、同じ家に住んでいても、心はずっと戦っているようで、どこか孤独でした。
3. 過去の受容 ―― 「無駄な経験など一つもなかった」
——外側の物差しを求めて戦い続けていた時期、弘直さんはどのような思いで千惠さんを見ていたのでしょうか。

矢崎 弘直さん(以下、弘直さん):僕はライバルだなんて思ったことはまったくなかったんですけどね(笑)。ただ、彼女が何かに夢中になると、嵐のように周りを巻き込みながら突き進んでいく。そのエネルギーは本当にすごいなと思って見ていました。彼女が何かに挑戦している姿は、ずっと応援していたんですよ。
——長い間戦い続けてきた千惠さんが、その拳を下ろすきっかけは何だったのでしょうか。
千惠さん:かつては、成果や数字を追い続け、全力で仕事に打ち込んできた日々や、子育てでも結果を求めすぎてしまったことを「黒歴史」だと思っていました。でも、ある時やっと気づいたんです。子育てに奔走したことも、トップセールスとして戦ったことも、すべて必要な学びだったのだと。
今取り組んでいるキッズゲルニカのような大きなアートプロジェクトを動かすには、多くの人を巻き込み、前に進めていく力が必要です。あの修羅のような日々があったからこそ、その力が鍛えられたのだと思います。
——過去の葛藤が、今の活動を支える力に変わったのですね。
千惠さん:はい。今の活動にとって、無駄な経験など一つもなかったと思えるようになりました。そして、ふと隣を見ると、私が勝手に孤独というリングに上がり、シャドーボクシングをしていた間も、弘直さんがずっとそこにいてくれたんです。何も言わず、ただ静かに支え続けてくれていた。リングを降りたとき、ライバルだと思っていた夫は、最強の理解者であり、キッズゲルニカのパートナーでした。
4. 画家「千空」の覚醒 ―― 幼き日の原点へ
——過去のすべてを受け入れたあと、再び絵の世界へ戻られたのですね。現在は「千空」というお名前で活動されています。
千惠さん:きっかけは、2011年の東日本大震災でした。あの出来事を機に、「自分は何者なのか」「どう生きるのか」と、問い続ける日々が始まりました。心理学や哲学など、さまざまなことを学びながら答えを探し続けましたが、最後には「もうわからない」と、すべてを手放した瞬間があったんです。その時、どこからか 「絵を描く」という言葉が降りてくるように、心の奥に響きました。
それは「画家になりたい」という願いというよりも、ただ 「絵を描く」という行為そのものが、自分の中から自然に立ち上がってきた感覚でした。それから私は、利き手ではない左手で絵を描き始めました。やがて個展を開く機会にも恵まれ、そこから画家としての活動が少しずつ始まっていったのです。

——千空としての作品は、どのように描かれるのですか。
千惠さん:まず場を整え、塗香を使い、香りの中で心を静かにし、墨をするところから始めます。日本画の画材を使い、描いては乾かし、色を重ねるという工程を何日もかけて繰り返していきます。何が浮かび上がってくるのかは、私にもわかりません。天とつながり、目に見えないものを見える形にしていく、そんな感覚です。実はこれは、8歳まで祈りの中で感じていたあの感覚、そして幼い頃に絵を描くことで体験していた自由な感覚と、まったく同じものなんです。
——長い間封印していた原点の感覚を、千空として取り戻されたのですね。
千惠さん:長い間、現実の世界でもがきながら遠回りをしましたが、結局は本当の自分の居場所に帰ってきたのだと感じています。作品が完成しても、それが誰のもとへ届くのかは私にもわかりません。私は、まだ見ぬたった一人の人の命が輝くことを願い、祈り、絵を描いています。
でも、何年も手元にあった作品を見た方が、突然「これは僕の絵です」と言ってくださることがあるんです。その瞬間、私は自分が描いているというより、天と人をつなぐ役割をいただいているのだと気づかされます。天とつながり、そのつながりを作品という形で手渡していく。それが、千空としての私の表現なのだと思っています。

5. アートが地域をつなぎ、町を元気にする「キッズゲルニカ」の未来へ
——現在は「千空」としての活動と並行して、「キッズゲルニカ」という平和のアートプロジェクトも推進されているのですね。
千惠さん:はい。キッズゲルニカは、1995年に日本から始まった国際アートプロジェクトです。ピカソの「ゲルニカ」と同じ 8m×3.5mの巨大なキャンバスに、世界中の子どもたちや大人が一緒に平和への願いを描く活動です。私にとって「千空」の活動が、個人の内面と向き合い、天とつながる “縦のつながり” だとすれば、キッズゲルニカは、人と人、地域と地域が手を取り合う “横のつながり” だと感じています。
かつて私は、家庭や教会という横のつながりの中で、自分の声が届かないような無力感を感じていた時期がありました。でも今は、この大きなキャンバスを囲み、みんなで無心になって色を重ねていく中で、人と人が自然につながり、平和な場が生まれていくのを感じています。

——その活動が今、行政や地域を巻き込む大きな流れになっていると伺いました。
弘直さん:そうなんです。実は先日、私の故郷である山梨県の市長たちが集まる懇親会でプレゼンをする機会がありました。そこで「キッズゲルニカを通して山梨に恩返しがしたい」とお話ししたところ、その場で4つの市が立候補してくださったんです。さらに翌日には、南アルプス市立美術館の方からもお声がけをいただき、あっという間にコラボイベントが決まりました。最初は行政の方も「一つのイベント」として見ていたのですが、このプロジェクトの背景や思いを知っていただくうちに、「これは地域を元気にする力になる」と受け止めてくださるようになりました。
——それはすごいスピード感ですね。具体的にはどのようなイベントになったのでしょうか。
千惠さん:3月22日に南アルプス市立美術館と一緒に、「2026 旅するキッズゲルニカ in 南アルプス市」 を開催することができました。南アルプス市市長も来て下さり、市長の一筆からスタート。
春の大きなキャンバスを前に、絵の具まみれになって夢中で筆を動かしていると、気づけば肩書きや役割といった「大人の鎧」も自然とほどけていきます。お父さんもお母さんも、地域の企業の社長さんも、新入社員も、子どもたちと一緒になって笑いながら絵を描いている。その時間こそが、言葉を超えた 最高の地域交流 であり、町を元気にする力になると感じました。

——完成した絵は、その後どうなるのでしょうか。
千惠さん:完成したキッズゲルニカは、その後世界各地を旅しながら、平和をつないでいきます。すでに展示の予定も決まっていて、2026年4月には東京・増上寺(4月11日)、8月には長崎市、9月には富士宮市での展示が予定されています。100年、200年と続いてほしいプロジェクトだと感じています。
——最後に、この記事を読んでいる全国の自治体、企業の皆さまへメッセージをお願いします。
千惠さん:アートには、人の感性をひらき、人と人、地域と地域をつなぐ力があります。画家「千空」として、天とつながり、見えない想いを作品という形にしてお届けし、これからも子どもたちや地域の皆さんとともに大きなキャンバスを囲みながら、アートで平和をつないでいきたいと思っています。だからこそ、行政や自治体、そして地域や企業の皆さまと力を合わせながら、平和のキャンバスを全国へと広げていきたい。アートを通して、ともに地域に平和の文化を育てていけたら嬉しいです。
取材後記

「無駄な経験など、一つもなかった」
矢崎 千惠さんのこの言葉が、取材後も深く心に残っています。
幼少期、祈りと絵を描くことで守られていた天との純粋なつながり。しかしその感覚は一度封印され、他者の評価という「外側の物差し」の中で、長い葛藤の時期を過ごされました。愛するパートナーさえライバルのように感じてしまうほど、孤独な戦いの中にいた時期もあったと言います。しかし、その葛藤の時間があったからこそ、人を巻き込み、社会を動かす力が培われました。矢崎さんの描く「千空」の絵は、天からのメッセージのように人の心を静かに打ち、見る人の内側にある平安を呼び起こします。そして人と人が自然に集い、つながり合う「キッズゲルニカ」の場は、まさに平和の象徴のように感じられました。
一般社団法人 アートピースジャパンとして社会に平和のキャンバスを広げながら、同時に一人ひとりの内なる平安を紡いでいく。その姿は、アートが人の心を癒し、地域や世界をつないでいく可能性を静かに示しているように思います。IKIGAIとは、最初から完璧な正解を生きることではなく、見失いかけた原点にもう一度立ち戻り、これまでの経験のすべてを力に変えていくことなのかもしれません。
【企業データ】
会社名:一般社団法人アートピースジャパン
事業内容:アートを通じた平和活動、キッズゲルニカの開催・運営、ワークショップ企画、アーティスト支援
所在地:〒155-0031 東京都世田谷区北沢2-10-15