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「離職率9割」からの大逆転劇(株式会社ミツイバウ・マテリアル)

かつて「入社1年で9割が辞める」と言われた会社が、今や社員が自社の未来を語り、地域からも愛される企業へと生まれ変わりました。三重県松阪市に本社を置く、株式会社ミツイバウ・マテリアル。その変革の中心には、三井 陽介社長の「社員の幸福とは何か?」という、誠実な問いがありました。健康経営への取り組みは、単なる制度導入ではない。それは、社員一人ひとりの働きがいと向き合い、会社の「文化」そのものを創り変える挑戦の始まり。どん底から這い上がり、社員と、そして地域と共に未来を築くまでの軌跡を追いました。

株式会社ミツイバウ・マテリアル:三井 陽介さん(代表取締役社長)

1.「社長の息子」が誓ったたった一つのこと

――三井さんが入社された2010年頃、会社はどのような状況だったのでしょうか?

三井 陽介さん(以下、三井さん):私が入社したのは28歳の時で、当時はリーマンショックの少し後ということもあり、会社は営業赤字でした。正直に言うと、いわゆるブラック企業だったんです。私が入る1年前には10人採用して、1年間で10人が辞めていました。最短記録は2時間です。10時の休憩で帰って、そのまま戻ってこなかったと聞いています。

当時はサービス残業が当たり前で、有給休暇もない。社内では「見て覚えろ」という文化が根強く、新人が入っても誰も仕事を教えてくれない状況でした。私が入社した時、ある先輩社員に言われた「やっと辞めない社員が来たぞ」という言葉は衝撃でしたね。みんな、どうせすぐ辞めると思っていたんです。

――社長の息子として入社されることに、プレッシャーや葛藤はありましたか?

三井さん:まさにその「社長の息子」という色眼鏡で見られるのが嫌で、入社する時は父親に「役職は平社員からにしてほしい」とお願いしました。不動産の営業経験はありましたが、この業界は全くの未経験でしたから。工場の平社員から始まって、配送、事務、倉庫スタッフと全部署を回らせてもらったんです。

現場を経験して痛感したのは、会社の仕組みの古さでした。指示書はカーボン紙の複写で、それをFAXで送るんです。手書きの指示なので、人によって略字が違ったり、字が汚くて数字を読み間違えたり…。ヒューマンエラーが起きるべくして起きる環境で、それがクレームや無駄なコストに繋がっていました。これはもう、辞めていくのも無理はないなと。

――その状況を、何から変えていこうと思われたのですか?

三井さん:まずは自分が結果を出すことだと考えました。赤字を脱出させることが最優先だと。最初の3年くらいは、とにかく会社の言う通りに、がむしゃらに働きました。1日16時間労働もざらでしたね。でも、中途採用をしても人が定着しない状況は変わりませんでした。3年間で11人採用して、10人辞めていきましたから。

そこで、思い切って新卒採用に切り替えたんです。新卒を育てられる会社にならなければ未来はない、と。最初は「人を増やしても売上が上がらなかったらどうするんだ」と反対されましたが、「私の給料は要らない。でも、人を採れば絶対に売上は増える」と宣言して、一気に4人を採用しました。

この時、すごく大きな変化があったんです。同期がいることで、彼らは簡単には辞めなかった。そして、若手がいることで、震災後の建築需要が高まった時に仕事が取れたんです。人が人を呼び、会社に活気が生まれました。離職率は劇的に下がり、売上も利益も伸びていきました。

この経験を通じて、会社の根幹は「人」なのだと確信しました。そして2013年、私は経営の基本方針の一番上に「社員の幸福」を掲げることを決めたんです。

2.社長と社員の対話が生んだ革命

――「社員の幸福」という方針を掲げた後、具体的にどのようなことに取り組まれたのでしょうか?

三井さん:まず、社員の幸福って一体何だろう?と。それは私が決めることではないと思ったので、社員全員と面談し、給料や休み以外に会社に何を望むか、アンケートを取りました。その中で一番多かったのが、「トレーニングジムが欲しい」という声だったんです。

正直、当時はまだ経営も安定していなかったので、すぐに実現はできませんでした。でも、「社員の要望をいつか必ず叶える」と心に決めていました。それから数年後、会社の業績も上向き、近くの倉庫を買う機会があったんです。その倉庫の2階が空いていたので、「ここにジムを作ろう」と。社員の大工経験者にも手伝ってもらいながら、1年がかりのDIYで、シャワールームや更衣室も備えた本格的なジムを完成させました。

――健康経営にも力を入れていらっしゃいますが、そのきっかけは何だったのですか?

三井さん:これも「社員の幸福」が起点です。楽しく働くためには、心身ともに健康であることが大前提ですから。私の友人が若くして癌で亡くなったこともあり、予防と早期発見が何より重要だと痛感しました。そこで、35歳以上の社員を対象に、ガンマーカー検査の費用を会社で全額負担することにしたんです。さらに、三大疾病保険や医療保険にも会社負担で全員加入しました。インフルエンザの予防接種も会社で受けられるようにしたところ、インフルエンザで休む社員が激減して、結果的に会社の生産性も上がりました。

――仕組みの改革も同時に進められたのですね。

三井さん:はい。特に、誰でも働きやすい環境を作ることは急務でした。当時、父親からは「なんで女性ばかり採るんだ」と言われましたが、私は優秀な人材に性別は関係ないと思っていましたし、むしろ女性の方が優秀な方が来てくれると感じていました。

昔ながらの男性中心のやり方を変え、女性が活躍できるように仕事の仕組み自体を見直したんです。例えば、手書きでFAXしていた指示書をExcelの入力フォームに変えました。これなら誰でもミスなく正確にできますし、電卓を叩く必要もありません。男性社員には「メモを女性事務員に渡せばいい。その方が早くて正確だ」と伝え、業務の分担を進めました。DXとダイバーシティは、私にとっては表裏一体の改革でしたね。

――そうした改革を進める上で、当時の社長であるお父様との衝突もあったのではないでしょうか。

三井さん:しょっちゅうでしたよ(笑)。でも、社員の前で親子喧嘩をすると、社員がどちらにつけばいいか分からなくなってしまいます。だから、「喧嘩は家に持ち帰る」というルールを自分の中で決めていました。

私が何か提案すると、父は最初「俺が社長だ!お前が社長になってからやれ!」と怒るんです。でも、私は社員には「社長はああ言ってるけど、俺は君たちの意見が正しいと思う。社長になるまで待ってくれ」と正直に伝えていました。すると不思議なもので、1、2ヶ月経つと、父が会議の場で、まるで自分が考えたかのように私の提案を話し出すんです。最初は「なんだよそれ」と思いましたけど、父なりに私の意見を受け入れてくれたんだなと。その繰り返しで、会社は少しずつ変わっていきました。

3.「人を信じる」ことを諦めなかった理由

――2021年に社長に就任されましたが、その直後に大変な出来事があったとお聞きしました。

三井さん:はい。社長になってすぐ、社内で大規模なコンプライアンス違反が発覚しました。一部の社員が、工事で出た鉄くずを換金して着服していたんです。昔から業界では悪しき慣習としてあったことですが、私はコンプライアンス遵守を徹底するよう指導していました。それなのに…。調査を進めると、関与していたのは現場関連の社員の8割にも上ることが分かりました。

――8割もですか…それはショックですね。

三井さん:もう、人間不信になりましたね。信じていた社員、それも役職者までやっていたんですから。体調を崩して、円形脱毛症にもなりました。これまで「社員の幸福」を掲げて、会社を良くしようと必死にやってきたことは何だったんだろう、と。自分のやってきたこと全てを否定された気がして、本気で社長を辞めたいと思いました。自分は社長に向いていないんじゃないかと。

――その危機をどう乗り越えられたのですか?

三井さん:私は、関わった社員をクビにするつもりは全くありませんでした。これがどれだけ悪いことかを分からせた上で、反省して仕事で信用を取り戻してほしかったんです。ですが、一部の若手社員が「先輩がやっていたからやっただけ」と反省の色を見せなかった。私は「社会人として、善悪の判断は自分でしなければならない。会社の考えに合わないなら、辞めた方がお互いのためだ」と伝えました。

結果的に、その言葉を受けて1年間で8人が自主的に辞めていきました。正直、人が減ることに不安はありました。でもその時、残ってくれた中堅社員たちが私のところにやってきて、「社長の考えに合わない人は、辞めさせた方がいいです。その分、僕らが働きますから」と言ってくれたんです。

――それは心強い言葉ですね。

三井さん:本当に救われました。彼らの言葉を聞いて、ああ、俺の想いはちゃんと伝わっていたんだなと。この会社には、同じ方向を向いてくれる仲間がいるんだと、改めて感じることができました。不思議なことに、人が減ったのに売上は全く落ちませんでしたし、むしろ会社の雰囲気は格段に良くなりました。この一件で、私の「社員の幸福を第一に考える」という経営の軸は、もう二度と揺るがないものになったと思います。

4.会社の未来は“まちの未来”と共にある

――会社の雰囲気が良くなった今、次のステップとして何を見据えていますか?

三井さん:会社の発展の先に、「地域への貢献」があると考えています。私は松阪で生まれ育ち、この街が大好きなんです。でも、優秀な若者ほど、良い仕事を求めて都会へ出て行ってしまう。だから、地元に「ここで働きたい」と思える魅力的な企業を作ることが、ひいては松阪を盛り上げることにつながると信じています。

その想いから、地元のフットサルチームや高校のダンス部、社会人サッカーチームのFC伊勢志摩などのスポンサーを始めました。これは単なる慈善活動ではなく、未来への投資です。地域が元気になれば、人も集まり、最終的には会社の成長にもつながる。そう信じています。

――事業においても、地域との連携を深めていくお考えですか?

三井さん:もちろんです。もう一つの企業だけで完結する時代は終わったと思っています。例えば今、地域の職人さんたちと協力会を作り、地元の業者さんの仕事と技術を守る活動をしています。これからは、建設業という枠を超えて、農業や他の産業の方たちとも連携して、地域の課題解決をビジネスにしていきたいと考えています。

社員にも、常に新しいことに挑戦し、成長し続けてほしいと伝えています。私自身も毎年、何かしらの資格を取ると決めていますし。社員が100の力で150の仕事ができるような、効率的なシステムや環境を整えるのが社長の仕事です。

――最後に、三井さんが目指す「社員の幸福」の未来像を教えてください。

三井さん:社員の幸福の形は、一人ひとり違いますし、ライフステージによっても変わっていきます。だからこそ、会社として「これが幸せだ」と押し付けるのではなく、社員一人ひとりに合わせた柔軟な働き方ができる会社を目指したい。

うちには今、ベトナムからの実習生も16人いますし、国籍関係なく能力で評価する会社でありたい。彼らが将来ベトナムに帰っても働けるように、ベトナムに工場を作る計画も進めています。これも、社員の幸福を追求した先に見えてきた未来です。

人生の中で、会社で過ごす時間はとても長いですよね。その時間が、ただ辛いだけ、我慢するだけのものだとしたら、あまりにもったいない。どうせ働くなら、楽しく、やりがいを持って働いてほしい。社員が笑顔でいれば、お客様にも良いサービスが提供でき、会社も発展し、地域にも貢献できる。この幸福のサイクルを、これからもずっと回し続けていきたいですね。

取材後記

「社員の幸福」を経営理念の筆頭に掲げる企業は少なくありません。しかし、その言葉が本当の意味で血の通ったものになるには何が必要なのか。三井社長の歩みは、その答えを示唆していたように思います。

きっかけは、社員の声に耳を傾けること。健康経営もDXもダイバーシティも、すべては社員一人ひとりの「もっとこうだったら働きやすいのに」というリアルな声から始まっていました。それは、経営者が社員を「管理」するのではなく、共に「対話」する文化を育むプロセス。社長就任直後の大量離職という最大の危機は、その経営のあり方が試された瞬間でした。それでも「人を信じる」ことを諦めなかった三井社長の想いに、残った社員たちが応えてくれました。この経験こそが、ミツイバウ・マテリアルの揺るぎない強さの源泉なのだと感じます。

社員一人ひとりのIKIGAI(ありのままの想い)を起点とし、会社の成長、そして地域の未来へと繋げていく。IKIGAI経営が描く希望の物語が、ここ松阪の地で確かに紡がれています。


【企業データ】
会社名:
株式会社ミツイバウ・マテリアル 
事業内容:屋根・外壁・雨樋の材料販売及び工事、建築板金加工、太陽光発電システムの販売・施工、各種リフォーム工事 
所在地:〒515-0104 三重県松阪市高須町3460-125
資本金:60百万円 
従業員数:66名(2024年4月現在)

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