【IKIGAI企業インタビュー】家業を継ぐという選択。テレビマン夫婦が挑んだ老舗食品メーカーの再出発(楠原壜罐詰工業株式会社)
創業128年を超える老舗でありながら、新しい風が楽し気に吹いている。そう感じさせてくれるのが、ブライト500に認定された楠原壜罐詰工業株式会社です。
5代目を継いだのは、かつてテレビ局でカメラマンとして働いていた雄治社長。ディレクター兼記者だった妻の千津恵さんとともに、まったくの異業種から家業に飛び込みました。
そんな仲良し夫婦にとっての「生きがい」とは? じっくりお話をお聞きしました。
楠原壜罐詰工業株式会社:楠原 雄治さん(代表取締役社長)、楠原 千津恵さん(取締役部長)
1.夫婦でつないだ家業のバトン
――本日は、創業128年という歴史を誇る楠原壜罐詰工業株式会社さんに、「仕事とは?」「生きがいとは?」というテーマでお話をうかがいます。まずは、御社の歴史について教えてください。
楠原 雄治社長(以下、雄治社長):創業は明治30年、1897年です。創業者・楠原 政之助が20歳のとき、この広島で佃煮や漬物の製造・販売を始めました。
政之助が佃煮や漬物の製造販売を始めようとした当時、そうした保存食は「家庭で作るもの」という常識が根強く、商売として成り立つとは誰も思っていなかったと思います。
けれども彼は、思いつきで事業を始めようとしたわけではありません。10歳で丁稚奉公に出てから、さまざまな奉公先で技術を学びました。漬物や佃煮の製法だけでなく、瓶詰や缶詰の保存技術まで身につけ、20歳で地元に戻って開業したのです。

なぜこの道を選んだのか。きっと、幼い頃から商いの現場に身を置く中で、「人は何に困っているのか」「何が役に立つのか」と考え続けた結果だったのでしょう。冷蔵庫のない時代に、「おいしくて日持ちする食品を届けたい」という想いにたどり着いたのだと思います。
その後、商売は軌道に乗り、大きな富を築いたと伝えられています。初代・政之助の志と行動力は、今も私たちの誇りであり、原点として受け継がれています。
――素敵な創業物語ですね。感動しました。雄治社長は、何代目になるのですか?
雄治社長:私は5代目になります。
――実は、御社のホームページを拝見して気になっていたのですが、社長は婿養子でいらっしゃるんですね。名刺にも「創業から5代目 婿養子」と書かれていて、とても印象的でした。
楠原 千津恵さん(以下、千津恵さん):1代目の政之助は私の曾祖父、2代目が祖父、3代目が父、4代目が父の弟である私の叔父、そして5代目が夫の雄治です。私たちは前職で出会って結婚しました。
30歳を前に叔父から「一緒にやってほしい」と頼まれ会社にはいりました。まもなく父ががんを発症し他界しました。一緒に仕事ができたのはたった2年でした。
それまでは、父が経営、叔父が製造現場を担当するという形で会社を支えていました。叔父が社長に就任後も経営は雄治さんが担うことになりました。
――お二人は、前職で何をされていたのですか?
千津恵さん:地元・広島のテレビ局で、彼はカメラマン、私は報道のディレクター兼記者でした。
――まったく異なる業界からの転身だったのですね。
千津恵さん:幼い頃、自宅と会社と工場が隣接する環境で育ちました。周囲からは「いずれは後を継いでね」と声をかけられ、商売を継ぐことが当然のように思われて育ちました。私も少なからずその事を意識していました。
でも、雄治さんはカメラマンの仕事が天職と信じていて、商売は自分と無縁の世界だと思っていました。そんなところからのスタートでした。
2.リストラから始まった5代目の決断
――雄治社長が楠原壜罐詰工業さんに入社されたのは、いつのことですか?
雄治社長: 1999年、今から26年前です。最初に任されたのは、72名いた社員を36名に減らすという人員整理でした。
当社はもともと食品会社としてスタートしましたが、時代の変化に合わせて清涼飲料水のOEM(他社ブランド製品を代わりに製造する受注生産)に特化するようになっていたんです。私が入社したときには、缶詰やレトルト食品の製造をすべてやめ、飲料事業に一本化する方針がすでに決まっていました。
この時期は、会社の歴史の中で、もっとも厳しい局面の一つだったと思います。私は、その方針を実行に移す役割を担うことになりました。
――それは、大変な経験でしたね。
千津恵さん:実は、父も叔父も、私たちが会社に入るまで、業績のことをほとんど話してくれていなかったんですよ。

――そうだったんですか。
千津恵さん:まさか会社がこのような転換期に立たされているとは、正直思いもよりませんでした。けれど、会社を引き継ぐと決めたのは自分自身。迷いや不安は確かにありました。それでも、前を向いて進むしかない——そう思っていました。実は、父も叔父も同じような経験をしています。祖父から「体調が悪いから帰ってきてくれ」と言われて、若くして家業を継いだと聞いています。
父は東京の大学を出て都内で就職していましたが、20代で呼び戻されたんです。そのときも経営は厳しく、立て直しに奔走したと聞いています。
雄治社長:だからこそ、今度は私たちがタスキを受け取る番だ、という覚悟で向き合いました。
――とはいえ、30人以上の方に退職をお願いするのは、相当つらいことだったのでは。
雄治社長:本当に胸が痛む経験でした。説明の場では、罵声も浴びました。「お前が言い出したのか」と責められて……。そのとき心に誓ったんです。こんな思いは、もう誰にもさせたくない。絶対に繰り返してはいけないと。
――結婚された当初は、まさかそんな立場になるとは思ってもいなかったのでは?
雄治社長:まったく想像していなかったですよ。私は三男だったので、妻の姓を名乗ることに抵抗はありませんでした。でも、リストラの実行役になり、社長になる未来なんて、夢にも思っていませんでした。正直、入社前は妻の実家がどんな事業をしているのかも知らず、社名すら読めなかったくらいです(笑)。
でも、政之助も、実は母方の「楠原家」に4歳で養子に出されています。私も婿養子の5代目。そう考えると、政之助とのご縁を強く感じるようになりました。
3.4つの研鑽を重ねて人は幸せになる
――ホームページで御社の企業理念を読みました。4つの「研鑽」を掲げていますね。そこにはどのような思いが込められているのですか?
雄治社長:私がこの企業理念をつくったのは20年ほど前です。創業者・政之助のことを考えていると、「研鑽」という言葉が自然に浮かんできたんです。
彼は、若い頃から自分を磨き、商品を磨き、ひたむきに努力を重ねていたのだろうと思います。その姿勢を、会社の理念として言葉にしたいと思いました。

そこから生まれたのが、4つの研鑽です。
「品質研鑽」で安全・安心な商品を届ける。「美味研鑽」でおいしさを追求する。「自己研鑽」で技術と知識を高める。そして、「日々研鑽」でお客様、会社、家族の幸福を目指す。
この4つの研鑽を重ねることによって、お客様も、私たちも、そして社員の家族たちも幸せになると考えています。
――4つの研鑽を重ねることが、関わる人すべての幸福につながっていくとは、素晴らしい企業理念ですね。
雄治社長:ありがとうございます。努力の先に、お客様の笑顔があり、仲間との信頼があり、自分自身の成長があります。それが、働くことの喜びにつながり、社員みんなの生きがいを生み出し、私たち夫婦の生きがいにもなっていく。企業理念は、社員一人ひとりが生きがいを感じながら働いていくための道しるべです。
実は、2023年には「政之助商店」という自社ブランドも立ち上げました。自分たちが研鑽を重ね、自信を持って世に送り出す商品で、自分たちもお客様も幸せにしていきたいと思っています。
――それはすごい!どんな商品をつくっているのですか?
千津恵さん:私たちは食品メーカーでありながら、長年缶入り清涼飲料水のOEMに注力してきました。しかし一社依存の状況は長期的にみれば大きなリスクを抱えていることから余力のあるうちにうちの強みを生かした新事業を立ち上げ、食品メーカーとしての復活を目指しました。
そこで、広島産カキの春カキと藻塩のみを使用した天然調味料「広島オイスター」の開発に取り組みました。
そして「政之助商店」という商標登録を行い、広島の食品メーカーとして復活しました。

雄治社長:この新しい挑戦には、社員4名を選抜してプロジェクトチームを結成しました。営業部も開発部もなかった当社にとっては、まさにゼロからのスタート。
商品開発も営業も初めてのことばかりでしたが、彼らは失敗を繰り返しながらも、1つずつ成功体験を重ねてくれました。その姿を見ていると、チームの成長とともにブランドが育っていく感覚がありました。本当に嬉しかったですね。
――チームがうまく機能するために、工夫されたことはありますか?
雄治社長:外部アドバイザーに入ってもらい、「人の意見を否定しない」というルールをチーム内で共有しました。
否定されないとわかると、社員たちは安心して意見を出せるようになり、会議の雰囲気も大きく変わりました。まさにメンバーの間の中には「心理的安全性」があったのだと思います。
また、今年の仕事始めには、全社員に向けて「マイナス言葉をやめて、プラス言葉を意識しよう」とメッセージを伝えました。意識が変われば、自然と感謝や尊敬の気持ちも生まれてくる。何か特別なことをするというより、言葉の選び方一つが、職場の空気を変えていくものです。
――とはいえ、人は悩みを抱えていると、ついマイナスの言葉が出てしまうこともありますよね。「プラス言葉を使わなきゃ」と義務のように感じて、逆に苦しくなることもあるのでは?
千津恵さん:まさにそうなんです。だからこそ、私はいつも「あなたたちのことは、私が見守っているからね。困ったときはいつでも頼って」と伝えるようにしています。
社員たちを家族のように見守り、孤独にさせないよう気を配っています。
昔、夫に「君は子育てが上手なんだから、社員も同じように育てたらいいよ」と言われたことがありました。社員は家族。家族には、健康で、幸せでいてほしい。健康経営に力を入れているのも、その想いからなんです。
4.「一味同心」で広がる輪
――お二人の愛情が社内中にあふれているからこそ、広島オイスターのような、お客様の健康にまで配慮した商品が誕生するのですね。
雄治社長:ありがとうございます。実は当社では、毎年キャッチフレーズを決めているんです。今年のテーマは「一味同心」。
『ONE PIECE』というマンガに「麦わらの一味」という仲間たちが登場しますよね。個性はバラバラでも、同じ目標に向かって進んでいく。そんな会社にしたいという想いから、この言葉を選びました。
――いいですね。「楠原一味」「政之助商店一味」、響きも素敵です。
雄治社長:ありがとうございます。食品メーカーとして「一つの味」を共有し、地域から世界へおいしさを届けたい、という願いも込めています。
千津恵さん:地域貢献は、当社の原点の一つでもあります。広島に原爆が落ちたとき、蔵の下から出てきた塩を政之助が近隣の方々に配ったという話が残っています。うちの前には、塩を求める人たちの行列ができたそうです。今でも「楠原さんにはお世話になった」と声をかけてくださるお年寄りもいるんですよ。私たちも、地域の人たちに支えられて今日があります。そのことに感謝し、御恩返しを常に心がけていきたいと思っています。
――具体的にはどのような活動をされていますか?
雄治社長:当社の工場がある安芸高田市・吉田町に御恩返しをしていくため、サンフレッチェ広島のスポンサー活動を始めました。チームの練習場が吉田町にあり、人工芝の張り替えなども支援しています。
千津恵さん:地域の清掃活動も続けています。私が始めると社員も自然と動いてくれるんです。「気分がすっきりした」「やってよかった」といったみんなの声を聞くと、本当に嬉しくなります。地域貢献というと大ごとのように思われがちですが、まずは身近なところから。私たち夫婦が率先して動くことで、社員も自然とついてきてくれます。

雄治社長:私たちが目指すのは「いい会社」。では、「いい会社」とは何でしょうか。私は、地域の人たちから「あなたの会社はいい会社ですね」と言われることだと考えています。
地域から感謝される経験が、社員の誇りになり、「この会社に勤めてよかった」という実感につながる。地域に御恩返ししていくことは、巡り巡って自分たちの誇りと生きがいになっていく。そのためにも、日々の研鑽が大切なのです。
――素晴らしいですね。経営者のなかには、ボランティアなんて意味がないという人もいますが、御社の取り組みは「意味があるかどうか」ではなく、「誰かの幸せにつなっていくか」で判断されているのですね。
千津恵さん:最近とても嬉しい出来事がありました。67歳の男性が入社したんです。東京大学を卒業し、マツダで開発に携わった後、県内の人材紹介会社で働いていた方です。
当社の工場には就活の付き添いで何度か来られていたのですが、「70歳までの3年間、もう一度、自分の人生に花を咲かせたい。経験と技術を活かせるのは、この会社しかない」と言ってくださって。
雄治社長:自分たちだけでできることには限りがあります。だからこそ、多くの方に力をお借りし、ともに歩み、支え合いながら、絆に感謝して、事業を育て、御恩返しをしていく。それが私たちの生きがいであり、事業のあり方なのです。
取材後記
「家業を継ぐ」と聞くと、重たい決意や苦労の連続を想像しがちですが、今回の取材で、そのイメージがすっかり変わりました。テレビ局でカメラマンとディレクター兼記者として働いていたご夫婦が、まったくの異業種である食品メーカーに飛び込み、社員とともにゼロから商品を開発し、ブランドを立ち上げる。その姿は、まさに「クリエイター」そのもの。経営の場を、クリエイティブな場として楽しんでいるように見えました。真面目で、でもどこか遊び心があって、まるで気負わず、話しているこちらまで前向きな気持ちになっていく。「つくること」「関わること」「育てること」を楽しみながらも大切にしている真っすぐさが、心に残る取材となりました。
【企業データ】
会社名:楠原壜罐詰工業株式会社
事業内容:食品製造業 缶入り清涼飲料水のOEMと「政之助商店」ブランドでの調味料の開発製造販売
所在地: 〒733-0012 広島県広島市西区中広町1丁目16番24号(本社)
社員数:45名