消せない十字架を抱いて、ある道を生きる(株式会社ライフサカス 西部沙緒里)
大手広告代理店で仕事に没頭していた西部沙緒里さんは、突然のがん宣告をきっかけに、治療と仕事、そして子どもを持つ願いのあいだで揺れました。
当事者になって初めて知った孤独は、やがて「UMU」というWEBメディアや不妊治療支援アプリの開発へとつながっていきます。けれど、志だけでは事業は続かず、仲間に迷惑をかけてしまったという自責は、今も「消せない十字架」として残っています。
約1年の引きこもりを経て、彼女が再び歩き始めた先は、事業のシフトチェンジ、そしてかつて飛び出した故郷・群馬でした。
痛みを消すのではなく、抱えたまま歩く。その静かな道のりを辿ります。

株式会社ライフサカス:西部 沙緒里さん(代表取締役)
1. 故郷を出て、当事者になる
―― まず、どのような環境で育ち、どのような思いで東京へ向かわれたのでしょうか。
西部 沙緒里さん(以下、西部さん):私は群馬県の前橋市で生まれ育ちました。群馬の中でも「まちっこ」と呼ばれるような、比較的ひらけた都市部で育ったんです。でも、当時の私にとって群馬は、いつか飛び出したい場所でした。当時は東京という場所を、どこか「上の存在」として見ていたんです。そこへ登りたい、自分の力を試したいという気持ちがありました。
一方で、故郷を捨てて出てしまったような申し訳なさ、罪悪感のようなものも、心の奥にはずっと残っていたように思います。
―― 上京後は、大手広告代理店で長くキャリアを積まれたと伺いました。どんな日々でしたか。
西部さん:新卒で入社して、12年、13年弱ほど在籍しました。広告営業に始まり、制作のプロジェクトマネジメント、人材開発業務まで、いろいろな部署を経験しました。
大きな会社の看板を背負い、時には億単位の予算を動かす。責任も大きかったですが、高揚感もありました。当時はまだ男性社会が色濃かった広告業界において働くことが、自分のアイデンティティになっていたと思います。会社の名刺で仕事をする世界の中で、何者でもない自分が何かになれたような感覚で、仕事に没頭していました。
―― その最中に、がんを告知された。最初に何を感じましたか。
西部さん:本当に突然でした。ホルモン系のタイプのがんで、仕事も人生もこれからという時期でした。その時に感じたのは、絶望だけではなく、社会への違和感でした。
一般にいう女性特有のがん種だったこともあり、「これまで必死に働いてきたのに、女であるということで、余計に仕事と治療の両立がこんなにも難しくなるのか」と思いました。社会のセーフティネットなんて、どこにもないじゃないかと感じたんです。

―― 治療をしながら働く日々の中で、周囲との関係はどう感じていましたか。
西部さん:当時いたバックオフィスは、本当に温かい人ばかりでした。誰も私を「腫れ物」のように扱うことはありませんでした。でも、私自身が壁を作ってしまったんです。
「これ以上迷惑をかけられない」
「また治療で休むと言い出しにくい」
そう思い悩んで、周囲の優しさを受け取れなくなっていきました。当時の社会の未熟さへの怒りと、突如「働きづらさ」の当事者になった自分への戸惑いが混ざり合っていたのだと思います。誰にも弱音を吐けないまま、自分で自分を孤独の方へ追い込んでいきました。
2. リスクを抱えて、産むと決める
――治療の過程では、子どもを持つことについても重い選択を迫られたと伺いました。
西部さん:担当医からは、厳しい現実を告げられました。「どうしても子どもが欲しいなら、期間限定で不妊治療はできる。けれど、妊娠や出産、それに伴うホルモンの変動が、がんの再発リスクを高めてしまう可能性がある」と。
大げさに言えば自分の命を守る道を選ぶのか。それとも、再発のリスクを承知で、新しい命を授かる願いに賭けるのか。簡単には答えの出ない選択でした。
――それでも「産みたい」という願いを手放さなかったのは、なぜだったのでしょうか。
西部さん:諦められなかったんです。どれだけリスクを説明されても、やっぱり子どもが欲しいという願いを捨てられなかった。合理性や生存率だけで見れば、違う選択をした方がよかったのかもしれません。
でも、天秤にかけた時に、安全な場所にとどまるより、本当に望むものの可能性がある方へ進んでしまう。それが、私の理屈を超えた、どうしようもない核なのだと思います。
――その決断を、ご主人はどのように受け止めてくださったのですか。
西部さん:夫は止めませんでした。全方位に統計データを調べ、リスクを考慮した上で、「いいんじゃない? やろうよ。」そう言ってくれたんです。その言葉には、まったくプレッシャーがありませんでした。何かが起きても、自分たちで引き受ける。そういう静かな覚悟がありました。
私は、その言葉にとても救われました。夫が可能性を信じてくれたからこそ、私は自分の決断に責任を持って、その道を進むことができたのだと思います。

――その「本当に望むものがある方を選ぶ」という感覚は、後の起業にもつながっていったのでしょうか。
西部さん:結果的には、そうだったと思います。上の子の妊娠がわかったタイミングと、会社を設立したタイミングが、ほぼ同時でした。1週間も違わなかったと思います。新しい命への喜び。がん再発への見えない不安。そして、未知の事業への挑戦。
それらがすべて同時にありました。一つずつ片付けてから次へ進むのではなく、いろいろな現実を抱えたまま進んでいく。それが私の生き方なのかもしれません。あの時の決断があったから、今の自分の歩みもあるのだと思います。
3. 私の痛みが、事業になった——そして消せない十字架
――そこから、ジェンダーや女性の健康という領域で事業を立ち上げることになります。きっかけは何だったのでしょうか。
西部さん:当時は、まだ「フェムテック」という言葉も十分な市民権を得ていませんでした。不妊治療や病気のことは、本人が著しい「働きづらさ」や「生きづらさ」を抱えるにも関わらず、なかなか口にしづらい空気がありました。自分が当事者になって初めて、その孤独や、当時から「確かに存在していた」当事者たちへの社会の無関心を知ったんです。これは放っておけないと思いました。
SNSで自分の体験を話し始めると、「実は私も苦しかった」「会社に言えず、一人で泣いていた」という声がたくさん届くようになりました。ああ、自分だけではなかったんだ。ここには、まだ言葉になっていない課題がある。そう感じたことが、起業へ向かう大きなきっかけになりました。
――立ち上げた「UMU(うむ)」というメディアには、どのような思いを込めていたのですか。
西部さん:「産む・産まない・産めない」や「家族のつくり方」という、多くの女性やカップルが直面し、時に痛みや語りづらさをともなう多様な経験を、匿名ではなく実名で語ってもらうメディアです。
当事者が自分の言葉でありありと語ることで、同じように孤独を抱えている誰かの支えになれるのではないか。そう信じて立ち上げました。メディアをフロントに置き、裏側では不妊治療当事者向けのサポートアプリも開発して、民間から社会のセーフティネットのようなものを作ろうとしていました。共鳴してくれた5人の仲間も集まりました。ただ、現実は想像以上に厳しかったです。
―― 事業が思うように進まなくなっていった時、何が一番苦しかったのでしょうか。
西部さん:資金を十分に集めることも、将来への一貫したグランドデザインを描き切ることも、当時の私にはできませんでした。でも外からは、「女性特有の当事者課題を解決する気鋭のスタートアップ」のように見られていました。取材もたくさんいただきました。
外から見える私は、「がんと闘いながら、女性の課題に立ち上がった創業者」というパワフルな姿だったと思います。一方、内側では、事業がうまくいっていない。仲間の生活も背負い切れていない。
そのギャップが、本当に苦しかったですし、猛烈な自己嫌悪に陥っていました。称賛されるほど、持て囃されるほどに内側の現実との距離が広がっていく感覚がありました。

―― 仲間と離れることになった経験は、今も残っていますか。
西部さん:残っています。生活を懸けてついてきてくれた仲間たちに、結果的に苦しい決断をさせなければならなかった。誰かと激しく争ったわけではありません。でも、自分の不甲斐なさで仲間に迷惑をかけてしまったという自責は、とても大きかったです。
その後、対人恐怖症のような状態になり、1年近く引きこもりました。外に出るのが怖くて、自分で自分を責め続ける日々でした。人生で一番のどん底の一つだったと思います。
――その時間を経て、当時の出来事を今はどのように受け止めていますか。
西部さん:今でも、当時の自分を完全に受け入れられているわけではありません。喉の奥に小骨が刺さったままの感覚があります。「もっと別のやり方があったのではないか」という思いは、今も消えません。それは、私にとって「消せない十字架」です。
でも、その十字架があるからこそ、同じ過ちを繰り返さないように、地に足をつけて歩けているのかもしれません。引きこもりの後、事業を「人づくり・組織づくり」の研修講演・コンサルティング領域に仕切り直し再出発した結果、この数年は経営が軌道に乗り、安定しています。ただ、未だに当時のことは、消そうとして消せる記憶ではなく、抱えたまま生きていくものなのだと思っています。
4. 外の傷と、満ちた日々——ある道を生きる
――事業における傷を抱えながらも、現在の私生活には満たされている部分もあると伺いました。
西部さん:そうですね。外側には消せない十字架があります。でも、私の内側には、今、とても満たされている日々があります。あのがん宣告を経て授かった二人の子どもがいます。毎日は騒がしくて大変ですが、それ以上に愛おしい時間です。
そして、何があっても揺らがなかった夫がいます。夫は今、教育イノベーションの実践研究者として活動し、3冊目の本を出すなど、自分の道を歩んでいます。夫の口癖に「人間万事塞翁が馬」という言葉があります。良いことも悪いことも、あとからどうつながるかはわからない。その感覚は、いつの間にか私の中にも根づいています。
――かつて飛び出した群馬を拠点にされ、今では首都圏と群馬を行き来しながら多様な企業の伴走支援にご活躍だとか。
西部さん:ありがとうございます。人生、何があるかわからないものですよね。戻ってきた当初は、故郷への申し訳なさや、親も老いてきた中での「贖罪」のような気持ちがありました。でも、群馬を再び生活の拠点に、人づくりや組織づくりの支援を続けるうちに、見方が変わっていきました。
群馬のような中規模の地方都市だからこそ、ゼロからイノベーティブな事例を生み出せる。東京の真似をするのではなく、地方から他の地方や世界へ、対等な関係で発信していくこともできる。そう思えた時、申し訳なさや後ろめたさを感じ続けてきた故郷が、ワクワクするフィールドに変わりました。

――現在、群馬ではどのような活動に力を入れているのですか。
西部さん:一つには、製造業が複数連携し企業間の垣根を越え、女性活躍やDE&Iをテーマに次世代のリーダーたちが学び合う共創型プラットフォーム事業を去年からつくっています。
また直近では、県主催事業にて県内大学2校が参加する「ジェンダー&ライフデザイン教育」プログラムの開発・運営や、民間財団が進める「中小企業の女性や多様な人材採用」推進の全国 7 地域実証事業にも群馬エリアコーディネーターとして参画し、単発の研修講演のみならず、多様なコラボレーションや伴走で未来をつくる活動を進めています。
かつての自分にはできなかったことが、今の私にはできる。これまで積み上げてきた経験や知恵、スキルを総動員すれば、社会に還元できることがあると思っています。背負っている十字架を降ろすのではなく、それを背負ったまま、次の世界線へ「斜めにジャンプ」していくような感覚です。
――今年9月で、会社は10周年を迎えますね。
西部さん:はい。一つの大きな節目になると思います。当時の仲間たちと、もう一度集まろうと計画しています。あの当時以来、頻繁には会えていなかった創業チームと顔を合わせ、言葉を交わす。それができて初めて、私は自分自身に本当の意味で「OK」を出せるのかもしれません。
もちろん、すべてがきれいに解決するわけではないと思います。でも、その時間を迎えることには、とても大きな意味がある気がしています。
――聞いていると人生の輪廻というか、直接の恩返しでなく次に恩送りをする意味での「ペイフォワード」のようにも感じます。その起点にあるのは、やはり当時の西部さんご自身なのでしょうか。
西部さん:そうですね。確かに、そうかもしれません。
あの当時の自身の経験が、今の活動の起点になっているのだと思います。応援してくれた人たちや、期待に応えられなかった仲間たちに、直接すべてを返すことはできないかもしれません。でも、今の私だからできるやり方で、地域社会や次の世代へ返していくことはできる。それが、私のたどり着いたペイフォワードのかたちなのだと、今ようやく腑に落ちています。
――これから、どのように歩んでいきたいですか。
西部さん:無理に前を向こうとするのは、やめました。前向きでも、後ろ向きでもなく、ただ今ここにある「ある道」を生きる。負の感情も、癒えない痛みも、家族や大切な人との満ちた時間も、全部を抱えたまま歩いていく。過去の痛みを消すことはできません。でも、その痛みがあるからこそ、今の私に見える景色があります。
その歩みが、いつか誰かの支えになるかもしれない。そう感じながら、これからも静かに、自分の道を歩いていきたいと思います。
取材後記

「ペイフォワードの起点は、他でもない当時の西部さん自身だよ」と投げかけた時、深く頷かれた表情が印象に残っています。
事業の頓挫、仲間への自責、対人恐怖症になるほどの影の経験。西部さんは、それらを無かったことにはしていませんでした。今も「消せない十字架」や「喉の小骨」として抱えながら、それでも歩みを止めずにいます。
印象的だったのは、そこに「乗り越えた人」の強さではなく、痛みを抱えたまま生きる静けさがあったことです。外側には事業の傷があり、内側には家族や周囲の人たちとの満ちた日々がある。そのどちらも否定せずに引き受けているからこそ、西部さんの言葉は、説明ではなく、生き方そのものとして届いてきました。
IKIGAIとは、遠くにある理想ではなく、喜びも苦悩も抱えたまま、今ここにある「ある道」を歩き続けるプロセスなのかもしれません。
【企業データ】
会社名:株式会社ライフサカス
事業内容:「人間らしい人づくり・組織づくり」の伴走支援(コンサルティング・研修・講演)、地方都市の共創型人材育成デザイン、オウンドメディア「UMU」の運営
所在地:群馬県前橋市
資本金:記載なし
従業員数:記載なし