すべては地球の未来のために、命を使い切る循環の旅(株式会社スター・フローレス 星子桜文)
6歳までしか生きられない、と医師に告げられた一人の少女がいました。縁側で自然を遊び相手にして育った彼女は、長じて廃食油という「捨てられる油」を、地球を傷めない燃料へと生まれ変わらせる仕事に身を投じます。家庭の悲しみも、会社を手放す痛みも、極端なまでに引き受けながら「すべては地球の未来のために」という一筋の指針だけを胸に走り続けてきました。そしていま、数えきれない人に支えられてきた彼女は、その恩を次の誰かへ送るように、応援する側へと回ろうとしています。

株式会社スター・フローレス:星子 桜文さん(代表)
1. 愛に守られ、命の痛みの先に知った「生きる感性」
——星子さんの人生の原体験について、まずは幼少期のお話から深く伺いたいと思います。ご病気で大変な思いをされたそうですね。
星子 桜文さん(以下、星子さん):はい。私は生まれてすぐ、コラーゲンの遺伝子情報がないという難病で、「6歳までしか生きられない」と宣告されました。平均して1年に4回も骨折して、血管が破れたり、入退院や手術を繰り返す毎日でした。病院のベッドで過ごす時間が長く、学校にもほとんど通えず、たまに行く時も車椅子か松葉杖でした。
——幼い子どもにとって、それはどれほどの恐怖と痛みを伴うものだったか想像を絶します。
星子さん:小児病棟に入院していた時、不眠症になったことがありました。朝、私が寝ていると思った看護師さんたちが、カーテンの向こうで「あやちゃん、目を覚ますかな」と話しているのを聞いてしまったんです。「えっ、私って寝たら死ぬの?」と単純に思ってしまって。それから夜が来るのがイコール死のように感じられて、寝るのが怖くなりました。朝になってみんなの声が聞こえると「あ、私生きてた、よかった」と安堵する。そんな日々でした。
——生と死の境界線に常に立たされていたのですね。そんな中で、心の支えになったものはありましたか。
星子さん:同室に入院していたおばあちゃんです。私が夜泣いていると、「寂しいの?」と声をかけてくれて。「私、寝たらダメなの」と話すと、そのおばあちゃんは「大丈夫だよ。お天道様がいつも見てる。この子はこんな良いことをしたって見てくれているから、もっと人の役に立つことをしなさい。そうすれば神様からご褒美がもらえるよ」と教えてくれたんです。ふわっとした記憶ですが、その時「人の役に立てば、生きられるのかな」と子ども心に思いました。
——その後、学校に通えるようになっても、大変なご苦労があったと伺っています。
星子さん:たまに学校に行くと、先生は良かれと思ってクラスのみんなに「星子さんは車椅子だから手伝ってあげて」と特別扱いをするんです。でも、それが原因でひどいいじめに遭いました。上履きをゴミ捨て場に捨てられたり、明らかに無視されたり。授業中はまだ自分の席にいればいいのですが、休み時間になるとみんなが交流し始めるのが本当に怖くて。「花いちもんめ」をやると、必ず最後まで私が残されるんです。小学生の頃は、本当に死にたいと思うほど辛かったです。
—— 逃げ場のない教室で、どうやってその苦しみに耐えていたのでしょうか。
星子さん:親に心配をかけたくなかったので、このことを家では一切言いませんでした。私が取った唯一の生存戦略は、いじめられていることを自覚しないようにする「鈍感なふり」をすることでした。というのも、私は負けず嫌いだったため、泣くことは絶対に嫌で、常に涼しい顔をしていましたし、なんでも一番を取ろうと必死に頑張っていたんです。教室という空間では、この先生は味方か、この子は自分を背中から刺してくる人なのか、常に周囲を観察して生きていました。
——そこまで追い詰められていたのに、星子さんが人を嫌いにならず、今のように明るく力強く生きられているのはなぜなのでしょうか。
星子さん:それは、おじいちゃんやおばあちゃん、親戚やご近所さんから、とてつもない量の愛を注いでもらって育ったからです。私は初孫だったこともあり、泥水を持って帰っても「すごいね!」と褒められるくらい、何をしても100%私の存在を認めてくれました。学校がどれほど辛くても、一歩外に出れば私を無条件に受け入れてくれる安心安全な場所があった。
縁側に寝かされている時、おばあちゃんが「今、風がそよそよって言ったね」と自然の音遊びをしてくれたことも、私の感性を育ててくれました。だから、「自分は愛されている」という絶対的な安心感が根底にあったのだと思います。
——お父様はまた違った厳しさで星子さんを育てられたそうですね。
星子さん:ええ。父は非常に厳しく、我が子であっても一人の人格を持った大人として扱う人でした。私に決して答えをくれず、ただ自分で経験して学ぶのをじっと見守ってくれるんです。そしていつも「正しいか正しくないかではなく、自分の行動が美しいかどうかで判断しなさい」「お天道様が見ている」と教えられました。正しさは時代や社会で変わるけれど、自然の美しさは変わらない。この「美しい生き方をする」という教えは、その後の私の人生におけるすべての決断の基準になっています。

2. 誰もやらないなら私がやる──ゼロから挑んだバイオ燃料の道
——大人になってから、どのような経緯で現在の事業に行き着いたのでしょうか。
星子さん:20代の頃、友人に頼まれて運送会社にアルバイトで入ったのがすべての始まりです。最初は事務の手伝いだったのですが、そのうち飛び込み営業をするようになって。とにかく負けず嫌いだったんです。幼い頃に培った「この人はどんな人か」「この人と話をすればいけるか」を見抜く力が活きていたのか、「ファッションセンターしまむら」や「キリン」「アサヒ」「ハウス食品」といった名だたる大手企業の大口契約をどんどん取ってくるようになりました。そして、いつの間にか取締役にまでなっていました。
——アルバイトから取締役にまで! 凄まじい行動力と営業力ですね。
星子さん:その会社で働いている時、ある取引先のトラックの排気ガスから天ぷら油の匂いがしたんです。驚いて聞いてみると、廃食油から作ったバイオディーゼル燃料で走っていると。大学の教授に聞きに行くと、「空気を汚さず、CO2も出さない夢のような燃料だ」と教えられ、強く心を惹かれました。そこで私は、「社員たちがただ荷物を運ぶだけでなく、空気を汚さずにお客様に届けることができればやりがいに繋がるはずだ」と考え、社長にプレゼンして社内事業としてバイオ燃料の取り組みを始めました。
——そこからご自身で独立して事業を立ち上げることになったのですね。
星子さん:実はその運送会社は当時の夫が起こした会社だったのですが、最終的に倒産してしまいました。80人ほどいた社員のほとんどは再就職先を決めることができましたが、決まらなかった数名の社員と共に、「なんとかしなきゃ」と思ったんです。そこで、あのバイオ燃料の事業をやろうと考えました。しかし、当時は「環境問題なんかビジネスにならない」「儲からないからやらない」と、周囲の誰からも相手にされませんでした。銀行の融資も下りず、八方塞がりでした。
—— 誰も賛同してくれない中で、どのように一歩を踏み出したのでしょうか。
星子さん:「誰もやらないなら、私がやるしかない」。そう思い、同級生たちに手伝ってもらいながら、自分たちの手で木板を張って小さな手作りの工場を建てました。そうして2010年に立ち上げたのが、「自然と未来株式会社」※ です。最初はお弁当屋さんを一軒一軒回って、「廃油をいただけませんか」と頭を下げて油を集めるところからのスタートでした。当時はまだ廃油はお金を払って処分するものでしたので、「ただで引き取ってくれるの?」と喜ばれ、隣のお惣菜屋さんにも声をかけてもらって、少しずつ油が集まっていきました。
—— ゼロからの起業、しかも前例のない環境ビジネスとなれば、大変なご苦労があったと思います。何が星子さんを支えていたのでしょうか。
星子さん:会社を立ち上げる時、「自分は何のために仕事をするんだろう」と深く考え抜きました。自分が好きな言葉を書き出した時、「自然」と「未来」が残ったんです。そして出てきた答えが、「すべては地球の未来のために」という指針でした。幼い頃、病気で縁側に寝かされていた私にとって、遊び相手は自然であり、地球でした。だから、この事業が地球の未来に繋がっているという確信を持てた時、腹に落ちたんです。「この指針さえあれば、どんな困難でも絶対に乗り越えられる」と信じることができました。

3. 魂のぶつかり合いが生んだ信頼の絆
——会社を軌道に乗せるまでも、資金繰りなど大変だったと伺っています。
星子さん:本当にきつかったです。集めた廃油を燃料にして、出口である運送会社に売りに行くのですが、当時は環境問題への意識も低く、「軽油より安くしないと買わない」と叩かれました。月末の軽油価格より必ず「1円安く」納品しなければならず、毎月マイナスが続くような状態で、来月お金が入ってくるのかどうかも分からない日々でした。環境に良いことだと頭では分かっていても、現実のビジネスの壁は厚く、疲弊する毎日でした。
—— そんな中で、大きな転機となる出会いがあったそうですね。
星子さん:ええ。ある会社の社長さんが、私を紹介した人の顔を立てるために、「燃料使えば良いんだろ?使ってやるよ」という仕方なしの態度で私と面談したんです。それが最初のきっかけでした。
当時の態度は、まぁ腹が立ったというか、私もまだ若かったから(笑)。「使ってやるよ、あんたが買ってほしい価格でいくらでもいいよ」と言われて、カッチーンときたわけです(笑)。当時の態度は仕方なしの対応だったため、私は「『すべては地球の未来のために』という志を共有できない方には売りません」と、キッパリお断りして「お時間頂き有難うございました。失礼します。」と言って帰りました。
——買ってくれるという大口の話を、自ら断ったのですか。
星子さん:はい。そうしたら驚いたことに、1時間もしないうちに、でっかいトラックが工場にやって来たんです。運転手さんに聞くと、「社長から燃料を入れるように言われた」と。私はそのドライバーさんに、「御社には燃料お売りできませんのでお帰りください」と言って給油しなかったんです。そしたら、社長が乗り込んできて、「燃料販売しないって何事だ!燃料入れろ!」って。私も意地になってしまって、「お売りできません。私はこの燃料に誇りを持ってます!買っていただかなくて結構です。」って言ったんです。
今思うと、なぁんて生意気な、でも、その社長がすごい。「すまんかった!」と頭下られたんです。もう90度のお辞儀。びっくりしたのと、そのお陰で私も冷静になれて、「こちらこそすみませんでした」って。私の想いを感じ取ってくださったのだと思います。その数時間後から、深い信頼関係に基づく取引が始まりました。
—— 志が真っ直ぐに通じたのですね。
星子さん:でも、試練はそれだけではありませんでした。取引が始まってすぐ、うちのバイオ燃料を使っていたその会社の重機が2台も壊れてしまったんです。私はもう申し訳なくて、全額弁償して取引を辞退しようと申し出ました。そうしたら、その社長から「お前はここで諦めるのか!」とものすごい剣幕で怒られたんです。逃げるな、と。
クレームを言うどころか、「お前は俺になんて言ったや!? そう簡単に諦めるな!! やると一度、代表が口にしたら、そう簡単に諦めるもんじゃない!」と、商売の在り方、経営者としての在り方を厳しく教えてくれたんです。社長は、私が言った言葉に責任を持てということを教えたかったのだと思います。本当にありがたかったです。
——そうした本気のぶつかり合いが、さらに新しい出会いを呼んだと伺いました。
星子さん:はい。その後に「志ビジネス」のプレゼンテーションに出させていただいた時のことです。私が「すべては地球の未来のために」という想いを語った直後、それを聞いていたある会社の社長さんが「自分も覚悟を決めて、未来のためにやるぞ」とスイッチが入ってくださり、なんとその場で元々10台だったバイオ燃料関連の機械(プラント)の発注を20台に増やし、大口発注を決めてくださったんです。ただ「安いから買う」というのではなく、同じ未来のビジョンを共有し、本気で共に歩んでくれる仲間がまた増えました。
4. 光と影の両極を味わい、見つけた「美しい生き方」という人生の基準
——そうして事業を前進させる中で、さらなる人生の試練も訪れたそうですね。
星子さん:一番きつかったのは、元夫が不祥事を起こして逮捕され、交通刑務所に入った時です。この一件では、私は犯人隠避の罪に問われ、勾留されるという経験もしました。勾留期間は23日間に及びましたが、最終的に真実が明らかになり釈放されました。私は彼と離婚し、一連の事態の責任を取って自然と未来株式会社も手放すつもりでした。
しかし、そうした燃料の仕入れ先や売り先の社長さんたちなど、取引先の方々が「あやさんが辞めるなら、もう取引しない」と引き留めてくださったんです。そこで覚悟を決めて、事業を続けることにしました。
——その一番辛い時期、お父様はどのような反応をされたのでしょうか。
星子さん:父は当時、県の重要な仕事に就いていました。娘とその夫が逮捕され、世間から後ろ指を指されるような状況だったにもかかわらず、父は誰に対しても一切の言い訳をせず、ただ淡々と自分の仕事をこなしていました。私が釈放のタイミングで実家に謝りに行った時も、父はテレビを見たまま私と目を合わせず、「あやちゃんのひな人形を出しているから見ていきなさい」とだけ言いました。

—— ひな人形ですか。
星子さん:はい。2階に上がると、そこには見事に咲き誇る君子蘭と、私が幼い頃から大切にしていた七段飾りのひな人形が、完璧な状態で飾られていました。この君子蘭は、祖父が熊本市長時代に頂いてから大切に育てられている花で、一族の絆を象徴する存在です。私自身、その花の中に祖父の面影を見ており、父も同じだと思います。雛飾りの横で力強く咲き誇る君子蘭の鉢を見た時、言葉ではなく、父の深い愛と、この花に込められた星子家の歴史と想いに気づき、胸にグッとくるものがありました。
母に聞くと、父が一人で黙々と飾り付けていたそうです。言葉ではなく、その圧倒的な行動だけで「お前は俺の大切な娘だ」という絶対的な愛を示してくれたんです。後になって、父が知人に「あやを誇りに思っている」と語っていたと聞かされた時、その深い愛に涙が止まりませんでした。父は常に私を一人の人格として信じ、絶対的に守ってくれていたんです。
——お父様の「美しい生き方」をまさに体現されたエピソードですね。
星子さん:不思議なご縁にも導かれました。お盆に父の実家で雑誌を開いたら、日本のディーゼルエンジンの父と呼ばれる人物が、私の曽祖父の兄弟だったんです。「日野自動車は星子で始まった」と書かれていて、私がディーゼル燃料を作っているのは偶然ではなく、応援されているのだと確信しました。
私は今でも、毎朝お風呂で体を温めないと動けないほど、常に身体の痛みと向き合っています。痛みに心が引っ張られそうになることもあります。でも、悲しみも喜びも、最低も最高も、すべて両極端を味わってきたからこそ、人の痛みがわかりますし、何もない平穏な日常がいかにありがたく、美しいものかに気づくことができるんです。だからこそ、私は中途半端に生きるのではなく、「自分の命を使い切る」感覚で、1分1秒を生き切ろうと決めています。
5. 応援の無限ループ──支えられた命で、次の誰かの灯台になる
——ここまで星子さんは、捨てられるはずの廃食油を、地球にやさしい燃料へと生まれ変わらせてきました。いわば、地球の環境を支える側に立ち続けてこられたわけですね。その星子さんが、いまもう一つの会社・株式会社スター・フローレスを通じて、新しい挑戦を始めようとされています。
星子さん:はい。これまでの私は、廃食油を燃料に変えることで、地球の環境を“直接”支える側にいました。でも、一人の力で支えられる地球には、どうしても限りがあります。だからこそ今度は、頑張っている人を“応援する”側へ舵を切りたいんです。私が誰か一人を支え、その人がまた自分の場所で地球のために動いてくれたら——私一人ではとても届かない範囲まで、地球を支える手が広がっていく。人を支えることが、巡り巡って地球を支えることになる。その器が、スター・フローレスなんです。
私自身、数えきれないほど多くの人に支えられて、ここまで生きてこられました。今度はその恩を、次の誰かへ送っていきたい。そんなイメージなんです。実は起業した当初、出資の申し出をほとんど断ってきたんです。未来がどうなるかわからないのに、人様の大切なお金は預かれなかった。
転機は、起業から3年後、県知事賞と環境大臣賞をいただいた頃でした。熊本のある総合病院の理事長先生が地元経済界の方々を集めて、「この事業は熊本の宝だ。我々が束になっても彼女の理念にはかなわない。けれど、経営でなら支えられる」と。その言葉に背中を押されて、私は初めて出資を受け入れました。そうしてできた社外の株主の存在が、直後に起きた熊本地震を乗り越える、大きな支えになったんです。
——一方で、心ない言葉も浴びてこられたと。
星子さん:ええ、たくさん。「お遊びだ」「女のふわふわした考えだ」「熊本の田舎で、こんなことがビジネスになるわけがない」って。悔しかったですよ、そりゃあ。でも、その場では絶対に怒らないと決めていたんです。
父にずっと言われてきたでしょう——「正しいかどうかじゃない、美しいかどうかで決めなさい」「お天道様が見ている」って。何を言われたって、命まで取られるわけじゃない。だったら、みっともなく怒り返すより、美しくいよう、と。悔しさは仲間に聞いてもらって、「今に見とけ」って対策に変えて、一つひとつ跳ね返してきました。今になって思うと、あの嫌な人も、意地悪な人も、ぜんぶが今の私をつくってくれた。ぜんぶ、良かったんです。
——だからこそ、応援する側へ。スター・フローレスでは、どんな形で人を支えていくのでしょうか。
星子さん:人と事業をつなぐビジネスマッチング、経営のプロとしての人材派遣、志ある事業を一緒に育てるインキュベーション。ゆくゆくは有望な事業へ自ら出資する「星子ファンド」のような形も描いています。ただ、そのリターンをお金では測りません。「その事業が、未来にどれだけ貢献できるか」こそがリターン。応援したい分野は、教育・健康・環境の三つです。とりわけ環境は、人の生活も経済も、すべてを支える土台そのものですから。そして私が支えたいのは、「助けて」と言えない人たち。本当に苦しい人ほど、笑っているんですよ。
自分がそうだったから、わかるんです。そばで見守り、話を聞き、一緒に問題を見つける。でも、決めるのはいつも本人。私はその背中を、ただ静かに支えたいんです。支えられた人が、また誰かを支える。その人が、また次の人を支える。……これ、終わらないんですよ。私、「応援の無限ループ」って呼んでるんですけど(笑)。だからスター・フローレスは、灯台みたいな存在でいいんです。
「こっちへおいで」って手を引っ張るんじゃなくて、ただ「ここに灯りがあるよ」って、灯っているだけ。人って、真っ暗で行き先が見えなくても、どこかに灯りがひとつあるって分かるだけで、不思議と足が前に出るんですよ。私自身、そうやって、たくさんの灯りに生かされてきましたから。
——最後に、この記事を読んでいる方へ、メッセージをいただけますか。
星子さん:「6歳までしか生きられない」と言われた私でも、ここまで来られました。だからチャレンジしてほしい。諦めないでほしい。お財布に500円「しかない」と思うのか、500円「もある」と思うのか。それだけで、見える未来は変わります。あなたが生きてきた人生のすべてが、いつかあなたを支える力になる。——もし、この灯りのそばへ来てみたいと思ったら。私のもう一つの航海は、ここからはじまっています。
取材後記

「すべては地球の未来のために」——インタビューを通じて、星子さんが何度も口にされたこの一言が、今も私の中に残っています。
6歳のとき同室のおばあちゃんから手渡された「人の役に立てば、生きていける」。父から教わった「自分の行いが、美しいか美しくないか」。言葉ではなく、雛人形を黙々と飾った父の背中。最低も最高も極端なまでに味わってきた人だけが持てる眼差しが、星子さんにはありました。
地球の環境を支える側を命がけで走り抜けた人が、いま静かに、人を“応援する”側へ舵を切ろうとしている。一人で支えられる地球には、限りがある。けれど、地球のために動こうとする人を支えれば、その手は何倍にも広がっていく——応援することが、巡り巡って地球を支えることになる。それは、何かを成し遂げて余裕が生まれたからではないようでした。支えられてきた事実をようやく自分に許せたから、その恩が、そのまま次の誰かへと流れ出していく——ただ、それだけのことなのだと。
灯台は、自分からは動きません。ただそこに灯りをともし続けるだけで、見知らぬ船が夜の海を渡っていける。IKIGAIは個人の中に閉じてあるものではなく、その人が灯した光のまわりに、自然と立ち上がるもの。それが、星子さんが体現していたIKIGAI人生の姿でした。
※ 注:本文中の「自然と未来株式会社」は、2021年8月に熊本いいくに県民発電所株式会社へ事業譲渡されています。
【企業データ】
企業名:株式会社スター・フローレス
事業内容:志ある人と事業を応援するビジネスマッチング/人材派遣/インキュベーション等
スローガン:すべては地球の未来のために
所在地:〒861-8039 熊本市東区長嶺東2-40-16