「道具」から「同志」へ。人々の精神進化を目指す地球黒字化経営(栗山縫製株式会社)
18歳で突如背負わされた5000万円の借金。借金返済のためだけに働き、周囲の人間を「道具」としか見られなかった青年は、いかにして「地球黒字化経営」という壮大なビジョンに行き着いたのでしょうか。
中国事業での手痛い失敗、帰りの飛行機でよぎった「このまま落ちてくれれば」という絶望、そして家族5人で乗り越えた「1人1日100円生活」。人生のどん底で問われた「家業を守る覚悟」を経て、単なるリサイクルを超えた人々の精神進化へと至る栗山さんの波瀾万丈な人生の軌跡と、その集大成となる「水茎の岡再生プロジェクト」に迫ります。

栗山縫製株式会社:栗山 泰充さん(代表取締役)
1. 借金5000万円、夢を捨てた日
―― 栗山さんのこれまでの人生の歩みについて伺いたいと思います。最初は、若くして多額の借金を背負われたところから始まるのですよね。
栗山 泰充さん(以下、栗山さん):はい。高校時代は毎日ファッション雑誌を読んでいて、専門学校へ進学してファッションデザイナーになるという夢がありました。しかし、私が叔父のところへ卒業のご挨拶に行った時、「お前の家には、お前たちを養うためにお母さんが作った5000万円の借金がある。これからはお前が返さなあかんねんぞ」と告げられました。
―― 18歳の少年にとって、5000万円という額はあまりにも重い現実ですね。
栗山さん:頭の中が真っ白になりました。デザイナーの夢は、その一瞬で崩れ去りました。「何があっても返さなあかん」ということだけが残り、次の日から父が遺した縫製工場に入社しました。そこからは地獄です。借金を返すために、毎日睡眠時間は3時間。遊ぶことなど一切なく、365日のうち364日、ただひたすら働きました。
―― そのような極限状態の中で、周囲の人たちとはどのように接していたのでしょうか。
栗山さん:正直に言いますと、当時の私は「社員はお金を返すための道具、お客さんも借金を返すための餌を持ってきてくれる人」という感覚しかありませんでした。社員に対する感謝など微塵もありません。夜中になると、「なんでこんな思いをせなあかんねん」と、父の墓石を抱きかかえて泣き叫んでいました。精神的にも完全に限界でした。

2. 「道具」から「志」への改心
――そこから、どのようにして立ち直るきっかけを掴んだのでしょうか。
栗山さん:「メキキの会」という経営者の集まりに参加したんです。「ここに行けば仕事がもらえるかもしれない」という下心だけで参加しました。そこで皆さんが、やたらと「志」という言葉を連発するんです。
――その「志」という言葉に、すぐに感銘を受けたのですか?
栗山さん:いえ、最初は反発しまくっていました。「なんや、こいつらお金持ちやからそんな綺麗事を言えるんや」と思いながら聞いていたんです。ところが、聞きたくないのになぜか通ってしまう。そんな時、会の会長である出口光さんから「真剣に会社の理念を作ってみたらどうだ」と促されました。そこで真剣に考え抜いて生まれたのが、「人の個を輝かす服を創る その服を創る人が輝くインフラを創る」この言葉を創ったところから、会社が順調になり、私の人生が変わり始めました。
――「志」を持ったことで、事業はどのように展開していったのでしょうか。
栗山さん:業績が右肩上がりになっていっている時、中国でファッションに携わる人だけが集まる「ファッションシティ」を創るという構想を描き、中国へ進出しました。向こうの会社の「董事(とうじ・日本でいう取締役)」に就任し、3年間工場の寮に寝泊まりして働きました。しかし、私はそこで有頂天になってしまったんです。自分が偉くなったと勘違いし、周囲に不義理をしてしまった。その結果、中国の会社はあっという間に潰れ、日本の本社も危機的な状況に陥りました。
――順調に見えた矢先の、大きな試練ですね。
栗山さん:天山公園という場所に行き、正座して土下座をし、「もう一度ここへリベンジに帰ってきます」と誓いました。しかし、帰りの飛行機に乗った時、心の中に「このまま飛行機が落ちてくれたら、借金が全部チャラになるのに」という黒い感情が湧き上がってきたんです。

3. 100円生活からの再起
――帰国後、ご家族はどのような反応をされたのでしょうか。
栗山さん:無一文で帰国し、玄関を開けると妻が座っていました。「ごめんな」と謝る私に、妻はただ一言「またゼロからやったらええやん」と言ってくれたんです。そこから、家族5人で100円ショップのインスタントうどんやラーメンを食べしのぐ、「1人1日100円」の極貧生活が始まりました。
――想像を絶する苦労ですね。どのようにしてその状況を乗り越えたのでしょうか。
栗山さん:家族5人で1日100円の生活を3年間続け、必死で働きました。誰からも一切お金を借りず、自力で這い上がると決めていたんです。その時、私の中にあったのは「家(家業)を絶対に潰さない」という、人生最大に強い覚悟でした。よく、追い詰められてなよなよと命を絶ってしまう人もいますが、私は逆でした。特攻隊の人たちが国を守るために飛び立ったように、私は家業を守る覚悟が決まっていました。だから、何も怖くなかったんです。
――その強靭な覚悟があったからこそ、3年という短期間で完済できたのですね。
栗山さん:はい。そして、自力で借金を全て返し終わった後、改めて周りを見渡してハッとしたんです。私が苦しい時、お金を貸すという形ではなく、「くりちゃんを助けよう」と無償で仕事を手伝ってくれたり、集まってくれた盟友たちがいました。自分の覚悟の力だけでやり切ったと思っていたけれど、実は「本当に周りの人に生かされているんだな」と、その時初めて痛感したんです。
4. 「優しさ」の罠と組織の病
――借金完済後、社員との関わり方はどのように変わりましたか?
栗山さん:「服を創る人が輝く」という理念を言葉にした瞬間、「借金を返すために働かされている社員は、幸せじゃないよね」と気づいたんです。そこで真正面から「こういうことをやりたいんだ」と頼むようになると、自発的に仕事の後も残ってくれる社員が現れました。

――理念の共有が、組織を大きく変えたのですね。
栗山さん:ところが、その後に「優しさの罠」とも言える組織の病に陥ってしまったんです。昔の私は鬼のように厳しく、妻が社員をなだめる役割でした。しかし、時代の風潮に合わせて私が優しくなりすぎた結果、逆に社内がおかしくなっていきました。権利ばかり主張して義務を果たさない風潮ができ、「有給は取らなきゃ損」と仕事が残っていても休んでしまう。結果的に妻が厳しく指導せざるを得なくなり、社員からの反発を受けて、妻自身が精神的に追い詰められ、病んでしまったんです。
――優しくすることが、必ずしも良い結果を生まなかったと。
栗山さん:ええ。本当の働きがいとは、単に楽な環境を与えることではないと痛感しました。苦労せずに幸せばかり求めるのではなく、高い目標に向かって必死に努力し、時には理不尽なことにも耐えて乗り切る。そこにこそ本当の喜びや限界突破があるんです。だから私は、「もう一度締め直す」と決断しました。「うちの会社はこういう志でやっている。それに共感できないなら、辞めてもらっても構わない」と全社員に宣言したんです。
―― その葛藤を経て、現在の「同志」という関係性へと繋がっていくのですね。
栗山さん:そうです。私はもう、「社員」という枠組みではなく、地球を良くすることにコミットする「同志」と仕事をしていきたい。労使協定や労働条件といった次元ではなく、一つのプロジェクトのために集まる仲間です。イメージとしては昔の『必殺仕事人』のような関係ですね。普段は無駄な挨拶も馴れ合いもしないけれど、いざプロジェクトとなれば全員がプロとして力を発揮し、尊敬し合い、切磋琢磨する。そんな「凛とした関係」こそが、私の理想とする組織のあり方です。
5. 物理的なリサイクルを超えた「精神の黒字化」
――「地球を良くする」という壮大な目的を「同志」と共に追求する中で、その先に見る未来とは?
栗山さん:これまで、アパレルの廃材を再生する「地球黒字化経営」を推進してきました。しかし、活動を続ける中で、物理的なリサイクルだけでは地球環境の根本的な解決には限界があると感じ始めました。ゴミを出している人間の精神が変わらなければ、ゴミは決してなくならないからです。つまり、地球黒字化経営の行き着く先は「人類の精神進化をつくること」に他なりません。世界中が注目する日本の精神、本来の美の精神を取り戻すことが、地球を美しくする一番の近道だと考えています。

――その「日本の美の精神」を取り戻すための具体的なプロジェクトが動いているそうですね。
栗山さん:はい。琵琶湖のほとりにある「水茎の岡」の整備プロジェクトです。水茎の岡は「水茎の岡の港に波立ちわたる」と表現されるなど、和歌や俳句に詠まれる「歌枕」としても知られ、古くからの景勝地として知られています。聖徳太子の和歌でも「萬代と 波はたち来て 洗えども 変はらぬものは 水茎のあと」ー幾千年の月日が流れ、波が打ち寄せて(筆跡を)洗い流そうとしても、決して消えることのない、水茎のあとのように美しい文字の跡よ。と、その精神性が美しく表現されています。
―― そのような歴史的な場所が、現在はどうなっているのでしょうか。
栗山さん:南北朝時代に六角氏が水軍を抑えるためにこの岡に水茎岡山城を築きました。その後、城が潰されたり歴史の波に翻弄される中で、現在では完全に荒れ果ててしまっています。私は、この場所を整備し直し、日本の美の精神の源として復活させることが、自分の最後の使命だと考えています。
―― 「DーGENE」というブランドも、このプロジェクトに関わっているのでしょうか。
栗山さん:その通りです。水茎文字を統合したマークが「D-CODE」であり、このマークを冠した服のブランドが「DーGENE」です。このマークは身体に良い影響を与えるものとして、特許も認められました。この「DーGENE」の服を皆さんに身に纏っていただき、心身ともに健康になっていただく。そして、そこから得た収益を「水茎の岡」の整備プロジェクトに充てていきたい。これこそが、私が描く地球黒字化経営と、人類の精神進化を実現するためのマスタープランです。
取材後記

「社員はお金を返すための道具だった」。インタビュー中、栗山さんが発したその痛切な言葉が今も胸に刺さっています。
18歳で背負った5000万円の借金という極限状態から、中国事業での試練や極貧生活という深い「影」を越え、栗山さんがたどり着いたのは、社員を単なる労働力ではなく、共に地球を良くする「同志」として迎え入れる「あり方」でした。
単なるリサイクルという「やり方」を超え、人々の精神進化という壮大なビジョンに向けて、プロとして切磋琢磨し合い、「共にある」場を育む。これこそが、まさにIKIGAI経営の実践そのものです。
IKIGAI経営とは、強靭な覚悟と志を胸に、人が自ら幸せになりながら未来をひらいていく営みなのだと、深く気づかされました。
【企業データ】
会社名 : 栗山縫製株式会社
事業内容 : 高級婦人紳士服製造、アップサイクル事業、OEM生産など
所在地 : 〒577-0817 大阪府東大阪市近江堂3-14-9
資本金 : 20百万円
社員数 : 40名
グループ会社:18社
